見出し画像

『ボストン市庁舎』と、アメリカらしさについて

「なにかを言う」人びとの姿

フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー映画『ボストン市庁舎』(2020)は、これぞアメリThis is Americaカだと快哉を叫びたくなるようなエネルギーに満ちた、みごとな作品です。このフィルムには、アメリカの美点と力強さがみなぎっています。本作をできるだけ簡潔に表現すれば「意見を述べる人びとを撮影したドキュメンタリー」だと言えるでしょう。さまざまな立場のボストン市民や公務員が登場し、暮らしや社会についての意見を述べる。人びとが集まり、話し合いをしたり、自分の考えを主張したりする。ただそれだけの映像が4時間34分に渡って続いていくのですが、あまりにおもしろくて目が離せない。全編に渡り、夢中になってしまいました。「なにかを言うこと」が本作のテーマです。劇中では、絶えず人と人が話し合っている。その様子が実にいい。ある人の考えが別の誰かの耳に届く──それだけで気分が高揚し、胸がいっぱいになるのです。会話すること、意見を口にすることの途方もない魅力。ワイズマンは「なにかを言う」人びとの姿に取りつかれているようです。

ジャン=リュック・ゴダール、クリント・イーストウッド、そしてフレデリック・ワイズマンの三者は、同い歳(1930年生まれ)の映画作家としてよく引き合いに出されます。彼らはその偉大なフィルモグラフィだけではなく、いまだ現役で映画を撮り続ける驚異の活力を誇る点でも共通しています。劇映画とドキュメンタリーというジャンルの違いはあれど、ワイズマンはゴダールやイーストウッドと同様、映画史において重要なフィルムを多数残している、卓越した監督です。『ボストン市庁舎』は、ワイズマンが長年に渡って主題としてきた「公共」institutionを取り上げた作品です。彼は、病院や学校、軍隊、図書館や相談センターなど、公的機関にこそアメリカらしさが垣間見えると考え、数多くのフィルムで熱心に「公共」を追求しました。『ボストン市庁舎』は、ワイズマンの最重要テーマである「公共」に立ち返ったドキュメンタリーとして、非常に見ごたえのある素晴らしい作品でした。

アメリカの善

毎月の薬代が高くて生活が苦しい、と市長に懇願する黒人女性。家からの立ち退きを迫られる市民について相談する、市の職員たち。ラテン系だからという理由で、待遇や給与格差に悩まされる女性の訴え。戦争後の精神的な傷についてスピーチをする、イラクからの帰還兵。どの場面にも、言葉がほとばしってくるような力強さがあります。『ボストン市庁舎』を見ていると、意見を言うこと、周囲に対してメッセージを届けること、それじたいが素晴らしいと感じるのです。多くの人が集まって意見を述べあい、ボストンのコミュニティをよりよい方向へ変えていこうとする意思が、本作の見どころです。「なにかを言う」とは、これほどに意義のある前向きな行動であったのかと、目が覚めるような思いがします。このポジティブで活気に満ちたフィルムは、ボストン市、あるいはアメリカ全体の善を代表しているかのようです。

画像1

本作における「アメリカの善」を代表する人物として描かれるのが、撮影当時ボストン市長だったマーティン・ウォルシュです。彼は本当に魅力的な人物でした。「困ったことがあったら私に言ってくれ、道を歩いている私を見たら呼び止めて声をかけてくれ」と話す彼はスピーチの名手でもあり、どのように小規模な会合にでも積極的に顔を出して市民と直接会話し、人びとの心をぐっとつかむ言葉を発していきます。彼もまた「なにかを言う」人なのです。退役軍人の会合では「私はアルコール依存症だった。いまも治療中だ。断酒会の仲間と分かち合うことで、ようやくその苦しみを乗り越えられた」と率直に語ります。「心に傷を負った時、人と触れあい、言葉を交わすことでしか回復できない。それは退役軍人のPTSDも同じだ」と述べるくだりで、本当に胸が熱くなりました。トランプ元大統領が差別的な政策を掲げた際、市長は市役所で働くラテン系の職員全員をひとつの部屋に集めて、ボストンは排他的な政策を支持しないと訴える記者会見をしました、「あれほど誇らしい気分だったことはなかったね」と振り返る場面もまた、とても気に入っています。

「見ごたえ」という意味では、274分(4時間34分)の上映時間についても触れる必要があります。ワイズマンは長尺の作品を撮る傾向があり、たとえば『臨死』(1989)の346分(5時間46分)など、劇場公開には適さない上映時間のフィルムもあります。今回、『ボストン市庁舎』のように意義深い作品を上映する判断をした多くの劇場に対しても、感謝したい気持ちです。映画館に集まった人びとの、「映画を通じて社会を知りたい」というポジティブな意欲がひしひしと感じられ、ユーモラスな場面では笑いが起こるなど、映画館で他者と共有しながら見るべき映画として優れていたという印象です。これまでの作品ではあくまで観察者に徹し、自身の政治的立ち位置を明確にしてこなかったワイズマンですが、『ボストン市庁舎』においては、マーティン・ウォルシュ市長に代表される寛容な思想や態度に対する共感が見て取れる点に、これまでの作品とは違った熱気を感じました。このようにエネルギーに満ちた映画を見てしまった私は、自分も「なにかを言う」ことを止めるわけにはいかないと感じるし、私自身も「なにかを言う」人間であり続けたいと決意するほかないのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?