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同じ冗談を何回も言う人

ずーっと言うんです

同じ冗談を何回も言う人、あれ何なんでしょうか。本当にやめてほしい。たまたま言ったギャグが偶然ウケると、その後何ヶ月も、もう誰も笑っていないのに同じ内容を繰りかえす人、ほとんどが中年以降の男性ですが、どうにかならないものかと思っている。場が白ける以外に具体的な実害がないのは救いだが、とにかく反応に困る。ギャグや冗談は、基本的に一回で使い切りだと学んでほしいのである。どれだけ笑いが起こったとしても、一度使ったらもう再利用しない。ワンデーアキュビューを半年つけ続けたりしたら目がおかしくなるでしょう。同様に、笑いも原則使い切り、ディスポーザブルでお願いしたいのである*1。だいいち、同じことを言い続けて飽きないのだろうか。別のことを言いたい欲求は湧かないのだろうか。なにより「同じ話を何度もしたらつまらない」という基本的な事実を、できるだけ早く知ってほしいと思う私である。

確かに初回はウケたかもしれない。それは認めますよ。初回はウケた。だからって、その成功体験にしがみついて、毎日同じことを言い続けるのってどうなんですか。そもそも、その初回についても、偶然ウケただけ、本人の予測しないところでほとんど事故のようにウケたのである。一方、普段からおしゃべりについてしっかり考えている人は、事前に「このくらいの笑いがくるだろう」「これはウケる要素が結構あるぞ」と予測しながら冗談を言っているわけです。そして「期待したより笑いが少なかった」「思った通りの笑いがきた」などの反応を見ながら、もっとおもしろい発想や伝え方はないかと微調整している。ところが同じギャグを連発してしまう人は、基本的になんの考えも予測もなく、冗談をただ垂れ流しているわけです。だからこそ、たまにアクシデントのような笑いが生じると、有頂天になって毎日同じ話をしてしまうのではないか。おしゃべりに関して雑なんです。もっと考えてほしいし、慎重になってほしい。

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おしゃべりを大事にしてほしい

くわえて、打率の低さも腹立たしい。基本、自分が狙って笑わせようと発した冗談の打率は、できるだけ10割に近づけたいと思うはずだし、仮にハズしてしまったら「これはダメな笑いだった」という学習をするはずである。でも、同じギャグを何度も言う人って、打率のことをまったく考慮しないんですよね。ハズしても気にしない。いや気にしてくれ! 周囲が苦笑している状況すら意に介さない。全然ウケてないという事実を見ようとしないし、別の内容を考えもしない。だからといって、その人物の発言を無視するわけにも行かないのが厄介で、なんのリアクションもしないのは失礼だから、仕方なく反応するわけです。少なくとも、つまらないギャグに悪意はないため、あまり冷たくもできない。それはただ、純粋につまらないのである。だからこそ周囲は最低限の反応、たとえば苦笑でも「まいったなあ」でもいいのだが、なんらかの受け答えをしなくてはならない。余計な気遣いをさせないでほしい。

考えてみたのだが、同じ冗談を繰りかえす人にとっては、ギャグが必ずしもおもしろい必要性がなく、むしろ「おはようございます」や「お疲れさま」のあいさつと同程度の位置づけなのかもしれない。「おはようございます」というあいさつは別におもしろくはないが、そもそもユーモアを目的にしていない。われわれは毎日同じあいさつを反復し、それでコミュニケーションは円滑になる。同様に、同じ冗談を執拗に繰りかえす人にとって、それは「ちょっと変わったあいさつの延長」に含まれるのかもしれないし、笑いなど目指していない性質の発言だという可能性もある。それならば普通に「おはようございます」で済ませてほしい気もするが、なぜかある種の人びとは、あいさつ代わりに同じ冗談を何度も口にしてしまうのだ。

しかしですね、あいさつにはあいさつで返せばいいが、聞き飽きた同じギャグがまた性懲りもなく発せられたとき、どうにもリアクションが難しく、周囲はただ困惑してしまうのである。なにより、本人に悪意がないのが問題であり、仮にこちらがウケないギャグの執拗な繰りかえしを咎めたりしようものなら、「たしかに笑えないかもしれないが、どうにかみんなとコミュニケーションを取ろうと、私なりに努力していただけじゃないか」等と反論される可能性すらある。そうした場合、結果的になんだか私の方が冷酷に見えてしまうことになるのだ。そんな貧乏くじありますか。彼らに対して「おもしろいことを日頃から真剣に考えてほしい、もっとおしゃべりを大事にしてほしい」とお願いして本稿を終えたい。

*1  同じギャグを何年も使うお笑い芸人さんの場合、プロフェッショナルの彼らが同じギャグを言い続けるのは、当然ながらそれが観客にウケる限りにおいてであり、笑いが生じなくなればすぐにやめる。同じ冗談を言い続ける人の問題点は、笑いが起きない点にある。その都度しっかり笑いが起きるのであれば、同じ冗談を何度繰りかえしてもみな幸福であり、誰も困らないのだ。

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