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『フォールガイ』と、虚構としての映画

映画業界を支えてきたスタントマン

「フォールガイ」(落ちる人)とは、映画業界におけるスタントマンの別名であるそうです。作品は、長らく映画の世界を支えてきたスタントマン(女性もいるので、スタントパーソンと呼ぶべきでしょうか)への愛情にあふれたフィルムになっていました。主人公コルト(ライアン・ゴズリング)は、人気俳優のダブル(髪型など容姿を似せた上で、アクションシーンのスタントを担当する)として活躍するスタントマンでしたが、撮影中の事故で怪我し、そのまま引退状態となります。恋人のジュディ(エミリー・ブラント)とも離ればなれになってしまい、失意の日々を送っていました。映画プロデューサーからの連絡で現場復帰することになったコルト。しかし、現場に戻ってみるとあまり歓迎されていません。コルトはこの復帰に隠されたワナに気づき、秘密を探り始めるというあらすじです。

劇中、主人公が危機に陥り、敵に追いかけられたり、逃げるために高いところから飛び降りなくてはならなかったりといったシーンが、どこかメタ的なアクションシーンに見えてしまう構造が、この映画のおもしろさではないでしょうか。コルトが危険な目に遭うくだりが、どこか遊戯的に感じられます。スタントマンが現実的な危機に陥るという構造で、映っているものの意味を変えてしまう。そこが実にユニークなのです。ストーリーはかなり強引で、よく考えると辻褄があわない展開もあるのですが、その強引さがむしろプラスに働いているのが本作ではないでしょうか。むしろあらすじが強引であればあるほど、「危機に立ち向かうスタントマン」という設定にたのしさが加わります。

元気いっぱいです

荒唐無稽さゆえにたのしい

この作品のメタ性は、たとえば映画オタクの登場人物で、ここぞという場面で他の映画の名セリフを引っ張ってくる癖があるダン(ウィンストン・デューク)のような存在によって、さらに強調されていきます。「さすがにこれは強引すぎないか」というあらすじが、その荒唐無稽さゆえにたのしく、胸躍るものに変化していくのです。虚構としての映画、作られたストーリーとしての映画のメチャクチャさに対して臆していない感じがします。せっかくのエンディングだから、このくらい派手に、デタラメにやってみてもいいんじゃないか、という元気いっぱいの開き直りが、映画をからっと明るくしているのです。脚本の整合性を求める観客には不評かもしれませんが、この映画の場合、そうした論理を突き破るエネルギーがより重要であるように思えました。

フレッシュな場面はいくつもありましたが、それらがすべて、危機に陥った主人公が期せずしておこなったスタント場面(カーチェイス、高所からの落下、爆発)と重なっているのもみごと。非常によく練られた構造と、整合性をかなぐり捨ててエモーションに振った脚本という二段重ねで独特の爽快感を追求した、アイデアに満ちた映画だと感じました。コメディとして秀逸なせりふのやりとりも多いのですが、それがさりげないトーンで交わされるのもうまい。抑えたトーンでギャグを言うのがたまらなくいいのです。個人的にはかなり好きな作品でした。

【スタントした後はちゃんとスキンケアしましょうね】

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