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『パーム・スプリングス』と、「ループする日々」の再定義

ループする結婚式の一日

「同じ日が何度もループしてしまう」という映画は数多くあり、定番のモチーフとして用いられますが、個人的には、ループものの映画を見る視点はこの1年ですっかり変わってしまったように感じます。少なくとも私は、いままでと同じ気持ちでループものの映画を見ることができなくなった。自粛生活と在宅勤務がそのきっかけでした。家から出ない生活が長期化することで、平日と週末、労働と休息、オンとオフの概念など、いわば「生活を区切っている境界線」がすべて消失してしまい、すべてがひと続きの平坦な時間に感じられてしまったためです。私の生活はループしていないだろうか。それは率直にいってかなり怖い体験でした。私はそのような麻痺の感覚を抱きながら暮らすことに疲れ果てていたのですが(在宅勤務から会社通勤に戻り、この悩みはかなり解消されました)、在宅勤務していたこの1年、私がずっと感じていたのは、映画『パーム・スプリングス』で描かれているような「なにも前に進まない」「すべてが無意味に感じられる」という虚無的なループに放り込まれたような倦怠でした。

『パーム・スプリングス』は結婚式当日の朝から始まります。主人公ナイルズ(アンディ・サムバーグ)は結婚式に招待されたゲストですが、いかにも退屈そうに朝から缶ビールをすすっています。一方、花嫁の姉サラ(クリスティン・ミリオティ)も居心地の悪さを隠せません。彼女は一家のはみだし者であり、場にそぐわない人物だったためです。同じ式に参加したナイルズとサラは意気投合しますが、翌朝に目覚めると、終わったはずの結婚式当日の朝へ逆戻りしてしまっていることに気づきます。ナイルズとサラは、結婚式の日をひたすら繰りかえすループに入り込んでしまっていました。何度目覚めても、翌日はやってきません。たとえ死んでも、また同じ結婚式の朝のベッドに逆戻りしてしまう。それほどにループは強力でした。為す術のない彼らは、ひたすら繰りかえされる無為な日々を、酒やドライブやバカ騒ぎで適当にやりすごしていましたが、やがてどうすればこのループから抜け出せるのかを真剣に考え始めるのでした。

意味の消失

ループする日々では、すべての意味が消失します。翌日がやってこない、という虚しさは、缶ビールを飲んで寝転がったところで解決しません。ナイルズとサラはパーム・スプリングスから離れることができない。翌日へ持ち越す作業ができない。目標というものを持ち得ない。たとえ犯罪をしてもリセットされてしまう。車で遠出をして、家に帰るのがめんどうなら、その場で自殺してしまえばベッドで目覚める朝に逆戻りです。なにをしても現実に及ぼす影響がないというのは恐怖です。人はなんらかの境界線がなければ生きていけない。ループのなかでは歳を取らず、無限に生きていけますが、それは寿命の喪失でもある。寿命とはいわば「生きていくことの締切」であり、われわれは締切があって初めて、なにかを始めたり、終わらせたりできるのです。

締切のない人生を、境界線のない時間を、われわれはとても生きていけない。その息苦しさを、私はこの1年で嫌というほど実感しました。私は締切がほしい。境界線がなくてはいけないし、始まりと終わりの感覚が必要でした。これまで当然だと思っていた毎日の境界線や、始まりと終わりの感覚が、実は自明に与えられるものではないと思い知ったことは思いもよらない体験でした。私自身、いま住むアパートの一室で働いている限り、すべてが無限にループしてしまうように感じていたのです。劇中に登場するパーム・スプリングスという砂漠の土地を、私はどこか、自粛中の自分の部屋のように見ていました。大げさにではなく、この一年で私は、自分に残された時間は有限であると気づいたし、日々の無意味さから脱却したいと真剣に思うようになりました。それは確実にコロナ禍の影響によるものです。

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ループする世界は快適なのか

もちろん、ループする日々は考えようによってはラクな毎日でもあります。ただビールを飲んで横になっていればいいし、なにかをする義務があるわけではない。結婚式だってめんどうなら出席しなくてもいい。どうせループしてしまうのだから、なんでもいいのです。家賃の工面や、後回しにした確定申告に悩む必要もない。ループ世界ではあらゆるトラブルから自由です。しかし、だから毎日が楽しくなるというのは甘い見通しにすぎません。こうしたイージーな楽観は、私が在宅勤務を始める際に抱いていた期待そのものでした。私は、在宅勤務をすれば毎日が利便に、ラクになるはずだと確信していたのです。ループする生活でいいじゃないかと考えるナイルズと、あくまで生きることの境界線を求めるサラのふたりは、まるで在宅勤務を開始する前の私と、現在の私のようでもあります。だからこそ、彼らがループを抜けだそうと決意する後半に心が揺れるのです。

『パーム・スプリングス』は、才能あふれるコメディアン、アンディ・サムバーグの会話劇を楽しむフィルムでもあり、観客はその豊かなユーモアと軽妙な会話に引き込まれていきます。コメディ映画としてしっかりとした構成がありますが、もっとも重要なのは、ループ世界の諦念と退屈にほとほと倦んだ男女が、やはりこの場から脱出しなくてはならないのだと決心する、その転換なのです。われわれはどこかで、ループする日々の無責任さと自由に憧れているのですが、しかし実際にその世界へ入り込んでみて初めて、その無責任さや自由はただの幻想であると気づくのです。自分でも思ってもみなかったことですが、コロナ禍と自粛生活は思いもよらず物の見方を変えてしまっていて、これまでと同じように映画や小説を受容できない、ということは起こりそうだと感じています。

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