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『クライ・マッチョ』と、さようならマッチョ

現代的なジェンダー観

イーストウッド最新作は、老いたロデオスターが主人公。男らしさ(マッチョ)からの訣別は、イーストウッドが長らく描いてきたテーマでしたが、本作はタイトルからも現代的なジェンダー観との親和性が感じられます。作風はライトでユーモラスさも感じられますが、込められたメッセージは力強いものでした。イーストウッドが口にするからこそ説得力のある言葉だと感じました。

かつて人気者のロデオスターだったマイク(クリント・イーストウッド)は、乗馬中に大けがをして引退、その後は調教師として働いてきました。牧場主ハワード(ドワイト・ヨーカム)から「メキシコに住む息子ラフォ(エドゥアルド・ミネット)を探し、連れ戻してきてほしい」と依頼を受けたマイクは、断り切れずに彼を探しへ出かけます。ラフォはアメリカで牧場暮らしをしたがっていましたが、ふたりにメキシコ警察や追っ手が迫ってきます。彼らはアメリカへ戻ることができるのでしょうか。

メキシコで恋もしちゃいます

「俺はかつてマッチョだった」

作風は穏やかで、激しい暴力もなく進んでいきます。主人公を追う敵役の男性は妙におっちょこちょいで、少年を奪い返すのに何度も失敗してしまう可愛らしいキャラクターでした。メキシコの町で少年に馬の扱い方を教える場面など、教育のモチーフがいかにもイーストウッド的で、スクリーンに写る馬の優雅さを見ていると「ああ、アメリカ映画だ」という納得があります。男らしさを信奉する少年に対して「俺はかつてマッチョだった。しかしある日、それが無意味なことに気がつくんだ」と語る場面はやはり胸に来るものがあり、この言葉をイーストウッドの口から聞けて安心した男性は多くいるのではないかと感じました。他ならぬ彼にそう言ってほしいと私は願うのです。

印象に残ったのは、物語の最後にイーストウッドが少年に何も託さなかったこと。『グラン・トリノ』(2008)では少年に自動車を託しましたが、本作では逆に少年が闘鶏マッチョを主人公に手渡して終わります。あたかも、主人公の内側から消えかかっていた男性エネルギーを少年から思わぬ形で補給され、「よし、これで人生最後の恋を楽しむバッテリーが充填されたぞ」とばかりに、そそくさとメキシコ女性の元に戻っていく展開にユーモアがあり、思わずフフッと笑ってしまいました。

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