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大野君(仮名)のこと

高校1年の9月ごろだったと思うが、大野君(仮名)から家に電話がかかってきた。用件は、ファミコンソフトを貸してほしいというようなことだったと思う。大野君(仮名)は中学の同級生で、勉強がよくできる生徒だった。スポーツも得意で、サッカー部で活躍していたし、性格も明るくて人気があった。県外の進学校を受験するといって周囲を驚かせ(そんな選択をする生徒は他に誰もいなかった)、合格すると福島から離れていった。だから、連絡を受けたとき「何かの用事で地元に戻ってきているのだろう」と私は思った。私と大野君(仮名)は、中学時代はそこまで仲良くなかった。というより、私には同じクラスに「仲のよい誰か」がいなかった。だから、大野君(仮名)から連絡が来るのもやや意外ではあった。

待ち合わせ場所へ原付に乗ってやってきた大野君(仮名)は、中学時代と変わらない明るさで「ひさしぶり」と言った。中学では全員が強制で坊主頭だったが、およそ半年ぶりに会った大野君(仮名)の髪は伸びていた。彼の様子を見ながら、私は少しだけ不安になった。声のトーンは以前と同じだが、そこになにか荒んだ雰囲気、暴力性を感じ取ったからだ。なにより、原付に乗っていたことに恐怖を覚えた。高校1年の感覚からすると、原付に乗るのはかなりの背伸びだった。むろん法律上は16歳になれば免許は取れるが、そもそも原付は10万円以上する高価なモノだ。高校生が、どうしたら10万円以上するようなバイクを買えるのか。また、どの高校もバイクは絶対に禁止だった。暴走族のような風習もまだかなり盛んだった時代である。バイクはトラブルのもとだった。私が住んでいたのは荒っぽい地域で、そのへんの道路を走っているだけでもめごとが起きる。当時の福島では「高校生活を平穏無事にすごしたければ、バイクには触らない」が鉄則だった。

「高校辞めて戻ってきた」と大野君(仮名)は言った。思わず「えっ、なんで」と私が訊くと、妙にからっとした口調で「いじめがバレて退学〜」と返事がきた。緊張で背筋がひやっとした。それ以上質問するのはよくない気がして、私は黙っていた。いつも要領よく立ち回っていた大野君(仮名)が、退学になるほど誰かをいじめるというのがよくわからなかったが、よほどひどいことをしたのだろう。いじめをしたことを隠さずに堂々と話しているのが、正直なのか無反省なのか判断がつかなかった。その日はおそらく、しばらく立ち話をしてから、ファミコンソフトを貸したのだが、どんな話をしたのかはまるで覚えていない。ただ「いじめがバレて退学〜」という軽いトーンだけが記憶に焼きついている。貸したファミコンソフトは戻ってこなかった。それいらい大野君(仮名)とは会っていない。

もしかすると大野君(仮名)は、別にファミコンソフトを借りたいとは思っていなかったのかもしれない。「いじめがバレて退学〜」と言えそうな相手が、中学のクラスでひとり孤立していた私しかいなかったのかもしれない。あるいは、原付に乗ってブンブンと走る勇ましい様子を見てほしかったのだろうかとも思う。放校処分になり、どこにも所属していない16歳の少年。きっと不安だっただろう。いまになってみれば本当に些細なできごとなのだが、高1の秋に、私の家の近所にあったパチンコ屋の駐車場で大野君(仮名)と待ち合わせをして、ファミコンソフトを渡してしばらく立ち話をしたことを、なぜかたまに思い出してしまう。

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