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『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』と、世界中のティーンエイジャーが抱える鬱屈の総量について

ニューヨークの下水道に住むカメのミュータント

この文章を書いている私は、カメのミュータントではなく人間として育ったのだが、それでも、本作に登場する4人のミュータントの抱える鬱屈が痛いほどに伝わってくる。劇中、ニューヨークの下水道に住む彼らが、闇にまぎれて街へ飛びだし、生活物資を調達したついでに寄った野外上映会。そこでは『フェリスはある朝突然に』(1986)がかかっており、4人のミュータントは、スクリーンに映し出される高校生活、無邪気なティーンエイジャーの輝かしい姿を見る。そして彼らは悟るのだ。「自分はどうあがいても、あの憧れの場所へは行けないのだ。だって、カメだから……」。自分たちが世間に受容(accept)されることは決してないだろう、と感じた彼らは、ぐったりとうなだれて家に帰る。この失意の場面で私は落涙した。彼らはまぎれもなく、私自身なのだ。

映画『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』は、シリーズのファンである俳優セス・ローゲンが制作と脚本を担当したアニメーション作品である。作風としては、話題作『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』(2023)がそうであるように、現在のアニメーション作品の潮流である、絵の不完全さや乱れをあえて取り入れる方向性を目指しており、本作もその流れに位置づけられる。「新しいアニメーションの変化に立ち会っている!」と感じさせてくれる、躍動的な絵に胸がはずむ。物語は、どのようにして人間世界に認めてもらえるかを考えた4人が、ニューヨークの街を脅かす謎の存在「スーパーフライ」(アイス・キューブ)を倒し、社会の治安に貢献できれば、ヒーローとして社会生活が営めるのではと計画を練り、打倒スーパーフライのための自警団を始める姿が描かれる。

お父さんに外出の言い訳する場面です

世界に通じる窓としてのエイプリル

4人が知り合った高校生エイプリル(アヨ・エデビリ)は、彼らに初めてできた人間の友だちであり、彼らが憧れている人間社会との接点となる。このエイプリルとコミュニケーションする際の、4人のティーンエイジャーのはしゃぎぶり、大騒ぎがなんとも微笑ましいのだ。社会から隔絶されてきた異形の者、カメのミュータントが、広い可能性に満ちた社会にアクセスするための窓口のような役割を、エイプリルは果たす。そのドタバタを見ているだけで、感動で涙が出てしまう。4人のカメは、ドレイクやビヨンセ、BTSが好きなごく普通のキッズであり、自分たちを受け入れてほしいとそれだけを願っている。そのように疎外された気持ちを、世界中の少年少女が抱いているように思う。ミュータント・タートルズに、このような普遍的で繊細なテーマを重ねて描くことができるとは、本当に驚きだ。

きっと今後、この映画に希望を見出したティーンエイジャーがたくさん出てくると思う。そして、この映画の新鮮なきらめきをいつまでも記憶し、自分の明るい未来を託すような気がする。そんな映画を完成させた製作陣に拍手を送りたいし、そのようなフレッシュな輝きに満ちた映画が誕生したことが嬉しくてたまらない。90年代のヒップホップもまた、本作にフレッシュな息吹をもたらしていて、そのやんちゃさが楽しい。世界中のティーンエイジャーにとってこの映画が、主人公4人にとってのエイプリルのように、広い世界に通じる窓のような役割を果たすのではないかと感じて、心から嬉しくなるのだった。傑作。

【私も『ミュータント・タートルズ』みたいに人の心を動かす文章が書きたいです。私の本はこちらです】

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