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ロバート・コルカー『統合失調症の一族 遺伝か、環境か』(早川書房)

大家族を夢見た若い男女

まるでホラー小説のようだった。ロバート・コルカーの著書『統合失調症の一族』はノンフィクションであり、この本に登場する家族は実在しているのだが、読みながらずっと「これは現実なのだろうか」と信じられないような状態が続いていく。おもしろいとは形容できないし、スリリングとも違う、独特の内容だ。このできごとは実際に起こったのだと思うと、現実が歪んでいくような感覚にとらわれてしまう。とある家族の陰鬱な歴史がどこまでも続いていく本書を読んでいると、健康であること、幸福であること、正常であることは何か奇跡のようでもあり、すべては紙一重のバランスで成り立っているのだと不思議な気持ちにさせられた。オバマ元大統領の選んだ「年間ベストブック」でもある。

1930年代の終わりに、アメリカのある土地で若い男女が知り合う。愛し合って結婚したふたりは「大家族がほしい」と願い、猛然と子どもを産み始める。1人目、2人目、3人目、4人目、5人目……。何人産んでもとどまるところを知らず、12人目の子どもを産んだ時点で、医者からこれ以上の出産は危険だと止められる。12人のうち、男10人、女2人。計12人の子どもたちが成長したとき、アメリカ中の精神科医や精神保健研究所がこの大家族に注目する事態へと発展する。驚くべきことに、12人の子どものうち6人が統合失調症を患っていたのである。この異様な高確率に注目した医師や研究者は、統合失調症における最大の謎である「それは遺伝によって起きるのか、環境によるものか」を解き明かそうとする。

混沌と無秩序

ひとつの家で6人の家族が統合失調症になったとき、家庭は混沌と無秩序でいっさい収拾のつかない、制御不能な場所になる。あまりに怖ろしく、読んでいてもなかなか現実感が湧いてこない。彼らはつねにさまざまなトラブルを起こし、家を破壊し、暴力をふるい、警察の厄介になり、病院に入れられる。なにしろ病人が6人もいるものだから、一家には何らかのトラブルが継続的に起こり続けているのだ。汚れたシーツを身体に巻いて修道士のように振る舞い、その出で立ちで毎日何十キロも外を歩く者。イギリスの女王のために働くシークレット・エージェントだと自称する者。また自分をポール・マッカートニーだと思っている者もいて、彼はその日の天気を自分で決めているという。家のなかは破壊と暴力に満ちており、いっときも気が休まることがない。彼らは日々お互いを殴り、叩きのめし、12人のなかで同盟を組んだり敵対したりといった勢力争いを飽きずに続けている。12人のうちたった2人しかいなかった女性は、成人して家を出た後で、あの場所をよく生きのびたものだと振り返っているほどだ。

本書でもっとも恐怖するのは、父親と母親がどこにでもいるような普通の男女であることだ。両親は、育児放棄していたわけでも、異常性格者であったわけでもない。父親は、仕事と趣味の世界に逃避して家庭を省みない部分があったが、そのような父親は世界中に掃いて捨てるほどいる。母親はしつけが厳しい人物だったが、しつけの厳しい親のもとに生まれた子どもがみな統合失調症になるのなら、世界は統合失調症だらけにならなければ計算があわない。12人の子どもをもうける強い熱意を除けば、父親も母親もごく一般的な人物であったといえる(むろん欠点のない人物などいないし、彼らの欠点は、誰でも思い当たるふしがあるような軽微なものだ)。ところが、ふたりが幸福を夢見て家庭を築いたとき、これほどに悪夢的な結末になってしまう、という事実に戦慄したのだった。

私自身は、かろうじて社会生活が営めるていどには正常である(と思う)。警察沙汰になったり、周囲にそこまで多大な迷惑をかけたこともない。この本に出てくるような暴力的な環境や、異様な状況に身を置いた経験もない。それでも、私が自分自身をポール・マッカートニーだと思わずに生きてこれたのはただの偶然で、ほんの小さなきっかけ次第で自分の正常さなど失われてしまっていたのではないかと、この本を読みながら思うのだ。

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