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石山蓮華『電線の恋人』(平凡社)

電線について語る本

電線愛好家の石山蓮華が、電線の魅力について語った本が『電線の恋人』である。読みながら、まず何より「興味を抱く対象がすばらしい」と思った。電線を好きであること。それだけで祝賀会を開きたくなるような、熱意にあふれた1冊だ。電線愛好家という肩書きもいい。いまやラジオパーソナリティや俳優といった肩書きが先に来そうな石山氏だが、名刺には「電線愛好家、文筆家、俳優」の順で書かれてあるという。これもまた愉快だ。そういえば私は以前から、大学教授・福田安佐子の肩書き「ゾンビ研究者」に憧れていたが、「電線愛好家」もかなりいい線を行っている気がする。私もそろそろ、おふたり以上にインパクトのある肩書きを考えておかなくてはいけない。本書を読めば、電線のよさがわかりやすく伝わってくる。

カッコいい肩書き

電線のなにがいいと言って、あくまで実用的な道具、設備であり、人びとが娯楽として享受する目的では作られていないところだ。そこに美や快を見いだす視点が特徴的だと思った。うらやましい。私は小説や映画といったジャンルが好きだが、それらはもともと、人びとに楽しんでもらうことを前提として作られている。あらかじめ娯楽として準備されたものを、制作者の意図通りに読んだり見たりしているわけで、そこに不満はないものの、ちょっとつまらないなと感じることもある。やや自由に欠けるというか。一方、電線を愛好する視点は自由そのものである。レストランで提供された料理を食べるのではなく、川へ魚を獲りにいくところから始めるDIYの姿勢を感じた。電線とは、娯楽としてパッケージングした上で提示されたものではないため、楽しみ方の部分から自分で見つけなくてはならない。そのナチュラルボーン自由、いわば「電線に気づく能力」が、私にはどうやっても獲得できないもので、胸を打たれたのだ。石山氏が電線に気づいたのは、中学の卒業式だったという。中学時代の石山氏は、学校に友達がほとんどいなかったのだそうだ。

 一緒に写真を撮る人も、別れを惜しんで話す人もおらず、私はただただ、いたたまれなかった。誰かと帰れないかなと思っていたけれど、そのときの私と一緒にいるのは私だけだった。寂しさも悔しさも晴れやかさもないまぜになった気持ちを抱えて校門を出た。
 この3年間ってなんだったんだと思いながらむんと上を向いたら、そこに電線が伸びていた。ケーブルの被覆ひふくは、私が嫌々着ていた墓石色の制服と同じグレーに見えた。私は、これまでずっと電線と一緒に登下校していたことに初めて気がつき、ああ、ここにいたんだなと思った。なにがいたのか、その時にはピンと来なかったけれど、私にとってかけがいのない存在であったと言葉にできるまでに15年かかった。
 私はそのまま電線を目で辿り、中学最後の下校を終えた。

電線に気づく能力

石山氏が電線に気づいた瞬間の描写は美しい。中学3年生の抱える孤独感がよく伝わってくる、いい文章だと思った。特に「むんと上を向いたら」の部分がいい。卒業式の帰り道で、電線に気づくことが氏の持つ最大の才能なのではと感心してしまう。本書は、分類としてはエッセイになるが、内容は多岐に渡っている。電線に関する基礎知識なども説明されるし、「南国系」「ツタ系」「空中木立」「光学迷彩」「デコ系」「屋根系」など著者特有の電線分類、無電柱化推進運動への意見、ポップカルチャー(映画、アニメ、漫画など)における電線描写のリスト、電線工場見学記など、よくぞ電線というテーマだけでここまで内容を広げられるものだと感心してしまった。電線映画としての『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)論など、鋭い視点も光る。読めば電線への知識が深まるのも実にいい。

日本で電線がもっとも盛り上がった瞬間

これまで私の人生において、電線について考えることはほぼなかった。小学校低学年の頃に流行していた「デンセンマン」「電線音頭」が、私と電線とのほぼ唯一の接点であり、テレビを見ながら「ア電線にっ、スズメが三羽とまってた」と元気に歌っていたものの、しだいにその興味は消えてしまった(よく考えてみれば、私が好きだったのは小松政夫と伊東四朗であって、電線ではなかった)。日本中が電線音頭ブームに沸いたその頃を除けば、私と電線の距離は遠く離れていたのだが、この本を読んだ後では、道を歩くときの視点も変わってくる。路地の電線にも目がいくようになるし、『シン・仮面ライダー』(2023)を見ながら「うわっ、すごく電線……」と興奮するくらいには、電線に関する興味を持つことができるようになった。何より、この世の中に「電線は私の精神的インフラである。考えるだけで心が安らぐ存在がいるのって、すごく助かる」と思いながら生きている人がいるというだけで、この社会の多様性が嬉しくなるのだった。

電線のPDCAを回す石山氏

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