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住む人の心のなかを具現化した場所としての部屋

ようやく部屋の掃除ができた。ずっと部屋が散らかっていて、こんなに汚い部屋に住むのは嫌だと思いつつ、なかなか掃除に踏み切れない状態がしばらく続いていたのだ。手をつけるまでにかなり時間がかかってしまった気がする。というのも「まずは掃除の前に○○をしなくては」という焦りがあり、どうしても掃除が後回しになってしまう。こんな状態の部屋に住みたくないと思いつつ、なかなか始められない。この週末に一念発起し、部屋をまともな人間が住む状態にしてみて痛感した。きれいな部屋は本当に気分がいい。掃除の終わった部屋を眺めながら、部屋が散らかっているのが原因で仕事ができなくなった小説家のインタビューを読んだのを思い出した。小説家が病院へ行ったら、「まずは部屋の掃除をしてください」と指導され、言われたとおりに掃除をしたら仕事ができるようになったという。とてもいい内容だった。

なぜ、床の上になにも置いていない状態が、持ち物が整理整頓されている状態がこれほどに気分を落ち着かせるのかはよくわからない。逆に、散乱した部屋が精神を悪化させる理由はなぜだろうか。こちらもよくわからない。いずれにせよ、部屋が整理され清潔であることは、精神にとってあきらかにプラスだ。私はYouTubeで、天井近くまでゴミが堆積したアパートを掃除する業者の動画を見るのが好きなのだが、あのような状態になってもまだその部屋に住み続ける人の気持ちとはどのようなものなのだろうか。苦しくはないだろうか。私の部屋も、一歩間違えばあのようになってはしまわないだろうかと、心のどこかで恐怖しながらあの動画を見ているようなところがある。年齢と共に、ただでさえ気持ちが落ち込んでしまうことが多くなり、どうにかして自分のコンディションを整えていかないと精神がだめになってしまいそうな気がする。

おそらく、部屋はそこに住む人物の精神をかなり忠実に反映してしまうようなところがある。ある部屋の状態は、住む人の心のなかを具現化した場所になっていくような気がしてならない。そう考えるとちょっと怖い。汚れた部屋は「これがお前の心のなかだ」という動かしがたい証拠のようでもある。人の部屋へ行くのに気が引けるのも、その場所にどうしようもなく「その人自身」が刻印されているような気がして、そのようにあからさまな状態を見たくないという不安があるからかもしれない。だからこそ無理やりにでも時間を作って掃除をし、居心地のいい場所にしないと、そこに暮らす私の精神が弱っていってしまうのではないかと思った。きれいな部屋を保つのは意外にたいへんなのだけれど、これもまたひとつのセルフケアなのではとも感じた。なぜ部屋をきれいにすると心がこれほどに落ち着くのか、研究した本があれば読んでみたい。どうにかこの清潔な部屋の状態を保てればいいのだが、ほんの少し経つとまた散乱してしまうのが悲しい。エントロピーの法則。

【掃除のニガテな私が書いた本です】

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