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ぜんぶ、克也のせい(3)

ちゃんと説明してよ

「ベストヒットUSA」にのめり込んでいくほど、中学での英語の授業は不満になっていった。何より事前の説明が足りないと私は思っていたのだ。いま現在の英語教育がどうかはわからないが、私が中学生の頃は「外国語を学ぶとはどういう作業で、具体的にどのような困難があるか」という前提をまるで説明してもらえなかった。導入が下手なんだよな、中学英語。それはたとえば、南北戦争が何かを知らないまま、いきなり映画『リンカーン』を見るのに似ていると思う。米国史を教えてもらっていないせいで、あのひげのおじさんが何をがんばっているのかよくわからないのだ。

よその国の言葉を学ぼうとすると混乱が多い。多くの生徒は日本語のルールしか知らず、それが普遍的な規則であると思い込んでいる。各言語に独自の文法や規則があることがうまく想像できない。だからこそ、教える側が都度説明してあげなくてはいけないと思う。「いまから勉強するのは、日本語とはまったく異なるルールを持つ言語で、その決まりは不可解だけれど、なるべく思い込みを外して、英語の仕組みに慣れていきましょう」と生徒に繰りかえし伝えるべきだった。

思い込みを外す作業

この「思い込みを外す作業」は重要で、たとえば私の友人は、英単語の綴りの概念を理解するのに手間取っていた。日本語は50音のひらがなさえ覚えれば、何でも耳で聞いた通りに書くことができる。ならば英語も、AからZまでのアルファベットさえ覚えれば、あらゆる文字を聞き取った通りに綴れると考えていたのだ。つい「なるほど」と納得しそうになる、かわいらしい思い違いである。日本人だったらそのように考えてもおかしくない。そしてこうした誤解は、3分の説明で解決できた。

基礎的な部分での誤解が原因でつまずく生徒は多いし、思い込みを取り外す練習にはもう少し時間をかけた方がいい。「英語にはSVOのルールがある」「英語はやたら数をかぞえる習性がある」など、説明しないと伝わらない前提ばかりだ。どれだけ日本語と異なる言語体系を学ぼうとしているのかの見取り図を示さないまま、いきなり This is a pen とやり始めてしまうのは厳しすぎるのではないか。私が思うに、This is a pen という文章はとても難解だし、理解するのにたくさんの障壁が存在する。

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This is a pen の難解さ

This is a pen 最大の難関は、やはり冠詞の a である。これは日本人の英語学習者にとって永遠の謎で、どれだけ勉強しても完全には理解しにくい。日本語に冠詞が存在しないのに、冠詞という未知のコンセプトについて説明なしで進めるのはあまりにも強引だ。まずは「冠詞とは何か」を大まかにでも解説すべきなのだが、なぜか This is a pen は何の前触れもなく突然やってくるのだ。これはあまりに酷である。

結果「これは1本のペンです」という、日本語としても不自然かつ妙ちきりんな訳文ができあがり、クラス全員が「本当にこれで合っているのだろうか……」「1本の、って何だよ」と疑問を覚えつつ、ただひたすら「これは1個のリンゴです」「これは1冊のノートです」と連呼することになる。冠詞 a の持つ根本的な違和感はなるべく考えないようにし、そのように訳せと教師に言われたから、わきあがる疑念を払いつつ自分を納得させているのだ。実際この例文の冠詞 a は、個数を示すというより、ペンというカテゴリー、類に属していることを強調する意味合いが大きいと思う。

文化的な差異は早めに伝えてほしい

そういえば、中学3年のとき、隣の席の女子に「英語にはいちいち数を細かくかぞえる習慣があるんだよ」と説明したことがあって、その子は「あっ、だから1個の何々とか言ったり、単語のうしろにエスがついたりするのか」と言っていたけれど、これは教師が中学1年の1学期に説明しておくべき話だった。こうした文化的差異を早めに伝えないと、生徒は日本語のルールを英語にあてはめながら、しっくりこない感覚に長らく悩まされ続けることになる。

ちなみに私は小学校の頃、親に「自分の名前は英語で何か」と質問したことがある。名前は英訳可能だと思っていたし、「ジョージ」「サム」など洋風に変化すると予想していたためだ。名前は翻訳できないと知り、ずいぶんがっかりした記憶がある。やがて中学生になり、小林克也には「コビー」という気の利いたニックネームがあると雑誌で読んだ。私も何か英語風のあだ名をこしらえようと、そのとき決めた。



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