見出し画像

ユートレアの凪間にて

 アーラレイトルは自分が元に戻った事に気が付いて、瞼を開き、家を出た。彼女が元に戻った時に、決まって向かう場所がある。古くからの友人達が同じように集う場所。暗くも明るくもない場所が、彼女の第二の家だった。
 第十世界オーダには、それなりの住人が住んでいる。全員を把握する手間が面倒なので、誰も気にしないけど。第三世界で言われるような共通意識で繋がる世界だ。次は誰がどこへ降りていくのか、争わず相互扶助で選考される。
 直前まで第三世界に降りていた(らしい)アーラであるので、そちらでは使えなかった様々な感覚を、思い起こしながら第二の家へ移動していた。そこは第三世界風に表現するならば、カフェのような場所であり、バーのような場所である。第十世界の中でも特に気の合う者同士、何と無く留まってしまう場所だった。

「戻ったのかい?」
「戻ったよ」

 感覚で全て分かるので確認するのも無粋なことだが、それがこの家に集う者同士の好みと言えた。古の感覚というか、望郷的な懐かしさ。それを好む集団には、当然のように、そうした仕事が降ってくる。
 彼女が家に入った時に話しかけてきたこの相手。第十世界では名は必要ないが、レトロを味わう感覚で、彼ら自身が名乗る名としてクロリスサラード、クロリィという。

「そっちは元気だった?」

 アーラが問えば、クロリィは「是」という意識を送ってくれる。寿命も疾病もない世界の話である。肉体さえ無いのであるから体調を崩すという感覚もない。けれど彼らはそうした懐かしさが好きなのだ。だから彼も微笑むように「元気だったよ」と返してくれる。
 アーラの第一性別帯は女性帯、クロリィの第一性別帯は男性帯であるので、どちらかというとそちらの性別の傾向が強い。彼女の第二性別帯は男性帯で、彼の第二性別帯は女性帯にあるので、足して割った雰囲気としては似たようなものである。ここでは肉体が無いために、帯と表現するけれど、分けなければいけないような支障は存在しないので、各々好きな形をとる感覚だ。形をとるのを好まない者達も居る訳で、そちらもまた好み同士で固まるようになっている。
 カウンターチェアに腰掛けたアーラに対し、クロリィが「何か面白いことはあった?」と問いかける。
 アーラは「面白いこと……」と呟くと、「とっくに第四世界に移行しておかしくない筈の、第三世界に飛ばされたんだけどさ」と、自身の新しい経験を聞かせてくれるらしい。

「あぁ。じゃあ”流れ”に逆らっている?」

 話を進めようとしたクロリィに対し。

「逆らいたい力が強いって方かな」

 と。

「なら、第二世界に堕としたいのかな」
「うーん……そういう訳でもなさそうなんだよね」
「どういうこと?」
「そのまま留まっていたい、ってコトかなと」

 スチームミルクがたっぷり入ったカフェラテを、口に当てるようにして彼女が語る。

「それは星船(はこぶね)の気持ちもそうってこと?」
「違う。星船(せいせん)は第四世界に行きたいと願ってる」

 じゃあ、邪魔しているのは住人(クルー)の方じゃないか。クロリィが凪いだ気持ちで返すのを聞いて、アーラは「まぁそうなんだけど」と凪いだ声で返すだけ。彼らの認識として第三世界にある「星」は、たくさんの魂を乗せた「船」という風だった。当然、星にも意識があって、それはその星の住人と同様、尊重されるべきもの、という認識だ。
 
「星の気持ちを無視するなんて、酷い住人達だなぁ」
「聞こえてないからね。仕方ないね」
「あぁ、第三世界くらいじゃね……だから星船は第四世界に行きたいと願っているのか」
「だろうね。そっちなら少しは星の声も届くから」

 ほかほかのカフェラテを、ふはぁ、と堪能し、少しは懐かしい気持ちになったらしいアーラである。

「それにしても混沌だった」
「お疲れ様です」
「そう。本当に疲れたんだよ。でも楽しかったなぁ」
「頼まれて降りて行っても別にやることなんかないでしょ?」
「ない。平凡な家庭に生まれて、平凡な人生を歩み、平凡な夢を見て、平凡に死んだだけ」

 ぱん、と音のしない手を、合わせて離して「おしまい」と。
 アーラはにやっと笑んでクロリィに返してみせた。

「久しぶりにね、肉体で、食べ物を食べたんだ。こういう擬似的な飲食じゃなくてだね。肉体で得る食べ物は、やっぱり格別だったなぁ」
「あぁ、それは羨ましい。第三世界に生まれてこいって言われた時の、唯一の楽しみと言ってもいい」
「だろう? そうなんだ。特別に美味いんだ。第六世界のメーニャより美味いんだ」
「肉体の快楽も、あれはあれで味わい深い」
「お? 君もそういう気持ち、少しはあったのかい?」
「あるともさ。夜な夜な違う女を抱くんだよ。いや、あの時の人生も格別だったなぁ」
「まさかクズに生まれた時の話じゃないだろうね?」
「まさかさ。その、まさか。まぁ、僕は第八世界で師範(マスター)を一人喰ってしまっていたからね、その時のクズっぷりよりは余程マシだと思っているけど」

 喰ったのかい? しかも師範を? それじゃ第八世界のコロニーひとつ”飛んだ”んじゃない? アーラがわくわくと続きをねだれば、クロリィもニヤリと笑って「綺麗に消えた。僕も弟子達も綺麗にね」と。
 何が面白かったのか、クツクツと腹を抱えて爆笑しあった二人である。

「睨まれただろうね? 第八世界のS.A.I.に」
「睨まれた、睨まれた。第七世界どころか第五世界まで落とされた」
「クハッ……で、でもだよ、第五世界で許して貰えたんだね?」
「うんうん。計算によると、僕がそんな間違いを犯してしまったのは、第五世界で大切なことをやり残してきたから、らしいんだ」
「へぇ! じゃあ、分かっていた”やり直し”だったってことなのかい?」
「いや〜? とりあえず生まれてみたけどね。な〜〜〜んにも無かったんだよ。事件ひとつも起こらなかった」
「へぇ。ひとつも?」
「そうだよ、ひとつもだ」

 スイ、と視線を上にやるようにして、アーラは不意にクロリィの方を向く。

「分かった!」
「うん?」
「大切なやり直しだよ」
「うん」
「私が思うに」
「うん」

「「平凡な人生を送ること!」」

 合わせて被せてきた互いを知ると、また二人はゲラゲラと、その場で爆笑するのであった。

「ヒィーッヒッ、これはキツイ!」
「アハハハハハハ、アーラには嘘はつけないね!」
「クロリィあんたどんだけはっちゃけた一生ばかりなの!」
「違うんだよ! 僕はいつだって普通に生きているだけのつもりさ!」
「なら第五世界のそれは、それまでで一番の地獄の時間じゃないか」
「そう! そうなんだよ! 本当に一番辛かった!」
「アハハハハハハハ! 普通の人生が地獄! じゃ、じゃあ、次はどうなったのさ? 一度じゃ許してもらえなかった?」
「それがね、許して貰えたんだよ。たった一度で第八世界に戻して貰えたんだよね。しかも師範の地位だった。初めからだよ? 生まれた時から女王蜂さ」
「よかったじゃない! 許してもらえて! 何の”マスター”におさまったのよ?」
「だから、女王蜂だよ」

 うん? と傾げたアーラである。
 マスターとは導き手。女王蜂という導き手は、アーラでも聞いたことがない。

「聞いて驚け。生まれた側から僕はエロの伝道師。その時は女性帯で生まれさせられて、産声は喘ぎ声。弟子達に孕まされ続ける、驚きのエロの伝道師。自分のマナを全〜部、弟子達に盗まれて使われて、ボロ雑巾になるかと思った時、僕は悟ったね。女王様は僕だ! 服従しろ! お前達! と」
「アハハハハハハハ!! そっち!? そっちなの!?」
「そう。生涯をかけて弟子達のマナを吸い上げ尽くした。繋がって仕舞えばあとは僕の独壇場。第三世界の交合より、第六世界のアハーより、第八世界のエンティで得られる快楽は別格さ。肉体よりアストラル体よりもオーブス体で得られるものだよ。誰が抗えるというんだい?」
「わかる。わかるけれども、だよ。で、吸い尽くした女王様はどうしたんだい? 最終的に。最終的にだよ?」

 うん、とクロリィは一旦落ち着いて。

「オーブス体で得られる快楽に飽きてしまって……それがマスターとしての最終的な目覚め。飽きたな、と瞬いたらそこは第九世界の入り口だった」
「アハハハハハハハ!! 目覚めの理由が酷ぇ!!」

 腹を抱えたアーラがヒィヒィと爆笑し、目尻に滲んだ涙を拭く素振りを見せた。いずれも第三世界から戻ったばかりの彼女であるので、行動や思想がまだそちらに引き摺られているのである。
 爆笑するアーラの横で、クロリィも笑うから、既にそれは過ぎたこととして、笑いに変わる程度のものらしい。
 ひとしきり笑った後に「他には?」と彼が言う。

「他?」
「時節を迎えた世界だ。終末的な思想が蔓延るのだろう、と思って」
「あぁ。それはたくさんあった。あり過ぎて手を差し伸べられる側の人間が、混乱して、結局、下層の手を取る率が高いこと」
「ふむぅ。だがそれも運命だろう。僕達が悩むことじゃない。這いずり回っても上がれるようなものじゃないからね、この世はね」
「わかるよ。だけどね。まぁ、聞いてくれよ。私が向かった世界といったら、まさに混沌。なんでもござれの無法地帯さ」

 なんでも……と復唱をするクロリィを横目で見遣り、そう、すごかった、面白かったよ、アーラはケタケタと笑うようだ。

「救いたい奴らが多すぎる」
「へぇ」
「第四世界、第五世界に、第六世界、第九世界もいたか。神に仏に宇宙人、果ては天使に大悪魔、惑星間の異邦人まで。こうすれば助かる、愛と平和を、いやいや、科学こそ、量子こそ真実だ。IQが大切だ、知能限界に挑む旅、人類数%の人間、選ばれた人間こそ生き残る」

 ばっ、と大袈裟に腕を広げたアーラからは、それら全てを馬鹿にするような印象が発せられた。

「なぁ? 何が正しい答えだ? 遺伝的に進化しない人民を消すことか? 秘宝は女性器か? それともそこから生まれる神子が尊いわけか? 何千年経ったたとしても、彼らは産み育てる女の尊さも知らんのに。ただ、信仰は信仰だろう。他者がどうこういうことじゃない。だけど皆が口を出すのだ。この世界とこの星を救うため。人民を導くために大いなる粛清が必要だ、と」
「あぁ、終末的な思考。好きだよな、どの星も」
「選ばれるには努力をしなきゃならない。信仰に属さなければならない。問題を解決するために、知識をもつ者たちだけが頑張って威張るのさ。全く、無駄なことを、と、言ってはいけない雰囲気だ」
「問題はいつだって創られるものなのにな」
「そうさ。問題は創られるものなのに。全ては生きとし生ける者たちが、暇を潰すために創り上げるものなのさ。だが、誰もそれを指摘せん。指摘してはいけない雰囲気だ」

 なんだよアーラ、珍しく感情的に振る舞うじゃないか。
 クロリィは嬉々とはするが、揶揄するような顔もする。
 アーラは「そうさ」と頷き、それが第三世界の醍醐味だろう? とも。

「まぁ実際は機能を制限されて人間として放り込まれたら、全てを理解して処理するだけの能力はないのさ。夢現のまま生まれて死ぬだけだ。誰も何が大切なのか理解できずに死んでいく。第三世界くらいじゃ、な。それは仕方がないことだ」
「なのに熱くなる上の連中」
「そうさ。それを見られるのも第三世界ならでは、さ」
「で、君はどうしたの?」
「ん?」
「我ら第十世界が誇る、使徒アーラくんは、そんな世界で何をしてきたのかな、って」
「クロリィ、私が、何か、布教するようにでも見えるかい?」
「見えない、見えない。白々しく笑うだけで、見なかったことにするタイプだと思う」
「ご名答。何もしてないよ。白々しく笑うだけで、見なかったことにしてそのまま死んだ」
「くっ」
「クハッ」
「「ハハハハハ!!」」

 ヤァ、でも、悪くないね。懐かしい気持ちを色々、思い出せてよかったよ。もがくような気持ちや、心踊るような気持ちもね。さっきも言ったけど料理は美味しいし、皆が必死になる様を眺めているのも楽しかった。

「娯楽だね。あのくらいのレベルが、一番楽しいと思うよ」

 と。
 アーラは残りのカフェラテを飲んで、しみじみとクロリィに語るらしい。

「ホログラムユニバースも味わい深いものじゃないか。一つを目指した個々の時代も、私は懐かしいものに思う」
「神……造物主を求めた時代のことか」
「確かに会ってみたかった。必要のないことだと分かっていたとして、還りたかったよ。今でも還りたい」
「感傷的になるのも第三世界の副産物?」
「だろうね。そういうものだから。クロリィも呼ばれて行ったらわかる」
「いや、わかるよ。わかるとも。だから凪間(なぎま)にいるんじゃないか」
「まぁね。ここは、感傷に浸る店だから」

 アーラはクロリィに同意して、しばらくユートレアに揺蕩った。
 第三世界で見てきたものを、暫し思い出すようにして。
 第十世界オーダは、今日も永劫の平和である。

お洒落な本を作るのが夢です* いただいたサポートは製作費に回させていただきます**