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短編小説 「ヨーグレイヒア」 2

「我々はあなた、ヨーグレイヒアを歓迎します。少し、君のことを聞かせて欲しいな。そう、たとえば好きな食べ物や、どんなコミュニティに興味があるのかを」
「は……はい。わ、私の話でよければ、ぜひ」
「うん、緊張しているね。でも大丈夫。オゥシィァンに選ばれた子たちは毎年きみとおんなじさ。話しているうちに緊張もほぐれてくるよ。それに君にとって素晴らしい未来が待っている。興味があるコミュニティがあれば僕たちはそこに向かう手助けをしてあげられるし、ここに座って少しだけ僕らの質問に答えてくれるだけで、多大な貢献度に変換される。君も知っているように犯罪が起こらない世界だ。僕らから解放されても君の立場は危うくならない。安心してほしい」

 ウーシャンの言うことは尤もで、貢献度に変換される、つまりトークンを貰えるのならと、ヨーグレイヒアも少しだけ勇気が湧いてきた。なくても生活はできるけど、あったほうが何かと安心できると思えたからだ。AIではない大人の誰かと話をすることで、自分に向いているコミュニティが見えてくるかもしれない、という期待も見えたから。
 素直に頷くヨーグレイヒアを見て、ステイト・ピープルたちは、毎年自分達のコミュニティに加わってくる子供たちの、初々しさを思い出した。そう、これは年に一度のステイト全体のお祭りであって、自分達の初心を思い出す場所でもあったのだ。ものを知らない子供を眺め、彼らの一喜一憂に多くの民衆が癒されるためのもの。
 ウーシャンは少しずつ彼女へ質問を投げかけた。

「好きな食べ物は?」
「りんごです」
「好きな色は?」
「早い夜空の色、ですね」
「いいね、虫の鳴き声なんかも風情があるよね」
「虫の鳴き声……?」
「おや、聞いたことがない? 君はインド系……じゃないか、北欧系にも見えるから、もしかしたら虫の鳴き声が聞こえない人種かもしれないね」

 おっと、これは差別じゃないよ? 誰もが知ることだろうけど、虫の鳴き声というのは聞き取れる人たちと聞き取れない人たちが存在するのさ。それはもう何百年も前から分かっていることだ。
 フォローも上手にウーシャンが視聴者へ向けていう。
 ヨーグレイヒアは、そうなのか、と感心をした。

「父はアクシャヤヴァタに、母はユグドラシルに所属していると聞きました」
「そうなのかい? なのにジィアンムーを選んでくれて嬉しいなぁ。じゃあ君もここでは、お父さんやお母さんと似たようなコミュニティに所属するつもりなのかな?」
「あ、いえ、まだ決めかねていて……天文学者も数学者も、私には遠い学問に思えてしまっていて……」

 この一言で群衆は、学者の親を持つけれど、親の得意分野を継承する才能のない、悩める娘、そうヨーグレイヒアのことを解釈する目を持った。同情というのは、どんなに時代が流れても、好感度に変換されやすい感情だったのかもしれない。
 それに彼女は誰の目にも謙虚に見えていた。幼児心理のスペシャリストの教育AIに育てられた子供たち。自分達もそうだけど、自分達より若い彼らは、さらに進化したプログラムで育てられてきたはずだ。どちらかというと自信満々な子供が多いし、ステイトに出てきてもへこたれるような子供はまず周りに居なかったのだ。昨年も、一昨年も自信満々な子供だったし、逆にヨーグレイヒアの謙虚さが新鮮で。それは彼ら民衆がどこかに置き忘れてきた性質の一つだったかもしれなくて、自信がなさそうな彼女のことを庇護していきたい気持ちにさせた。

「できれば早めに自分に合ったコミュニティを、見つけていきたいと思うのですが」

 彼女が真摯に呟いた言葉によって、今後の彼女の方向性が決まっていった。ウーシャンは輝く顔で、決まりましたね、という空気を醸し、画面の奥の民衆へ、笑顔を添えて宣言していく。

「今回、我々は、この可愛らしいレディーのために、さまざまなコミュニティを紹介していく企画を配信しようと思います! どうぞ興味のある方はチャンネルの登録と、彼女への寄付トークンをお願いします!」

 大盛り上がりの中終わったらしい配信は、ウーシャンの「さようなら」の言葉とヨーグレイヒアのお辞儀によって、最高の形で終了できたらしい。良かったよ、ヨーグレイヒア、と彼は笑顔で囁いて、この先一ヶ月間、君のお世話をしたいな、と。
 あっけに取られた彼女だけれど、彼のマネージャーだという女性の一人に説明されて、ジィアンムー・ステイトの景色や人口色、最新の情報、流行や傾向など、ありとあらゆることを教えてもらい、最高級ホテルの最上階に通された。
 マネージャーの女性の説明によると、これから一ヶ月先までプライベートの配信も行っていくらしい。性的な部分を醸すところはオフになるけど、日常を常に誰かに見られているという気持ちを持って、生活して欲しいと告げられた。その対価としてこれだけのトークンが私たちからあなたに支払われる、と明確な数字の提示もあって、よくわからないままヨーグレイヒアは契約書にサインしてしまう。
 配信の予定はこの部屋のAIに伝えておくので、それに合わせて動いたらいいようだ、という説明も。食べてみたいもの、飲んでみたいもの、着てみたいもの、遊んでみたいものなどは、自由に購入していいと告げられた。
 いずれもヨーグレイヒアにとって初めての体験で、戸惑いながらも約束を守ることだけを頭に入れる。ここから先は気を引き締めて、とマネージャーさんは去って行き、部屋に取り残された彼女はしばらく呆然としたようだ。
 部屋の中は見たこともないアイテムで溢れていて、一歩進むごとに彼女の意識を奪うのだ。それは美しい模様の床で、美しい模様の壁であり、おしゃれな間接照明の先には、見たこともない大きなベッド。ふらふらしながら窓辺へと近づけば、見渡す限りの電光色に目を奪われたようになる。
 いかにも感動した顔で街の景色を眺める姿を、プレミアム配信の登録者たちは微笑ましい気持ちで眺めていた。ヨーグレイヒアの綺麗な瞳が、本当に輝いて見えたのだ。彼らには小さな彼女がジィアンムーという世界の中に、大きな希望を抱いたかに見えていた。それから思い出したように浴室に向かう彼女を眺め、入浴中という文字を見てあらぬ妄想を抱くものもいた。いつも通り、なんでも購入していいことを、ウーシャンに伝えられているはずだから、彼女がどんな様子を示すのか興味を持っている視聴者も多数いた。
 ジィアンムーで指折りの資産を保有するウーシャンが、このような配信を行うようになり十年近く経つけれど、例年、女性のオゥシィァンはたくさんの衣類を買っている。今だけ自由、と言われたら誰もが欲しがるものであろうし、いかにも若い女性らしくてそれはそれで可愛らしい。初めは遠慮していた子供がどんどん欲深かになっていくのも、エンタメ性があって面白く、そのままモデルの道へと駆け上がっていった女性もいたから、とにかくどう転んでも楽しく見られるチャンネルなのだ。もう動画配信サイトには切り抜き動画も溢れているし、多くの住民がヨーグレイヒアの今後について、興味津々という目を向けていた。
 何が良かったかというと、それらの予想に反し、ヨーグレイヒアは実に慎ましいお嬢さんだったので、中盤からと言わずにどんどん登録者を増やしていったこと。倍近く増えたのは中盤からだったけど、その頃には最後まで見ないとわからない派の人たちと、このままの少女でいて、という謎の願いを託す人たちとで、ウーシャンのチャンネルは大盛り上がりを見せていた。
 様々なコミュニティに赴いて、一緒に紹介をしてくれる華やかなウーシャンと、回数を重ねても一向に派手にならない慎ましいお嬢さんであるヨーグレイヒア。視聴者の中から、彼女ならウーシャンのパートナーにぴったりよ! という話題性を持つワードが飛び出すと、ウーシャンは視聴者のためにそうした演出もするようになる。
 誰もが、いつヨーグレイヒアがウーシャンに好意を持つのか、という、そちらの面白さにも興味を持ち始めると、頑なというよりは素の状態で、彼からのアプローチを袖にしていく彼女の姿が、面白おかしくて笑いにもなっていた。
 今日こそは、と全くそうは思っていない顔をして、割と真面目にアプローチするウーシャンもキュートだが、動画初めに大量のバラを貰ったとしても、参加するコミュニティの人たちに「素敵ね」と言われようものならば、ヨーグレイヒアは笑顔になって「皆さんに」と配る始末なのである。
 ウーシャンの好意を無駄にしないで! というワードが出た後に、一読もできていないだろう彼女のはずなのに、配信が終わった頃に彼に「ありがとう」と語るのだ。私が恥をかかないようにお土産用のバラを用意して下さったんですね、と。あっけに取られたウーシャンへ、深々と頭を下げて。それを見た視聴者たちは、ウーシャンの好意への注意書きをやめていく。彼の好意を無駄にしないで、は、まるで彼女の環境へ、嫉妬しているかのような書き込みに見えるから。
 閃いたウーシャンは、次なる企画を練っていく。彼女はどんなプレゼントなら、自分を意識してくれるのか、と。これもメインチャンネルとは別に大きな盛り上がりを見せていき、貴金属の類は慌てた顔で受け取らない、高級レストランならば気後れしながら付き合ってくれる、衣類は普段から自由にさせてもらっているからと受け取らないし、体験型のアクティビティはおっかなびっくり付き合ってくれる、など。彼女の性格が次々と晒されていくうちに、視聴者を童心に帰させるような雰囲気で、ほのぼのとしていくサブチャンネルだった。
 ヨーグレイヒアはエゴサーチをしない、という言葉がトレンド入りすると、もう彼女で数字を取るなら良い子路線一択だろうと理解したウーシャンは、最後の七日間などはそれまで以上に演出にこだわって、いかに良いお嬢さんだったのか、際立たせるように見せていた。いかに自分が汚れていたのか理解した、ような見せ方までをして。

「本当にありがとう」

 と、ウーシャンは最後の動画で言った。心のこもった絵面に見えたが、クリエーターの端くれだ。登録者を増やしてくれてありがとう、という本心と、君のおかげで儲かった、という方向への感謝でもあった。
 ヨーグレイヒアからのお礼は素直な笑顔だった。そんなウーシャンだからこそ、この世で一番美しいお礼に思えたようだ。契約通りのトークンを彼女へ支払うと、ウーシャンはそれまで通りの日常へと戻っていく。親から受け継いだ莫大な資産とともに、今回さらに増やした資産を次はどこに投資すべきか、ということを考える真面目な日常へ。

 久しぶりに自由になったヨーグレイヒアの方はというと、ウーシャンや周りの人らが示してくれたコミュニティへと、思うところがあって一時帰宅を果たしていた。
 マザーAIにあれやこれやと相談をして、この家を失わずに済む方法はないのか? という質問を投げかける。どうも、ヨーグレイヒアは、たくさんの人が住まうステイトに行くと、気疲れを起こしてしまうところがあるらしい。たった一ヶ月でこれほどまでの疲労なのだから、そうした生活が続くとなると体調を壊すのではと不安になったのだ。
 たまには自分一人になれる静かな場所で過ごしたい。人のさざめきがないような、一人きりの世界が欲しい。
 マザーAIはすぐ法律のAIに相談してくれた。この家を失わずに済む方法は、この家を一つのステイトとして登録するしかないらしい。手続きは煩雑か? と質問すると、手続きは全て法律のAIがこなしてくれるそうなのだ。ヨーグレイヒアがすることは、この世界が一つのステイトとして機能しているという、設備を整えることに限るらしい。
 ポートは使わせてもらえるようなので、他に必要な設備となると、この世界だけで循環がなされるような、自然環境の設定だ。ウーシャンからもらったトークンを思い出し、まずは家の周りとなる野山や川や、対岸が見えない仕様の海を買った。安くてポリゴン感が満載だったとしても、環境さえ整っていれば良いのである。細かい設定は後でゆっくりすることにして、残りのトークンで太陽と月を買ってしまう。昼夜の設定があるのとないのじゃ、動植物の成長が違うらしい。更に食用の草食動物をいくつか買って、畑は自分で耕し、食用の野菜の種だけ揃えておいた。あらかたトークンを使い切ってしまったが、AIに確認するとすぐに申請してくれるらしい。せめて畑を形にしてから申請するといいですよ、と彼らにアドバイスをもらったために、ヨーグレイヒアはそのように動いていく。
 二ヶ月もたった頃には申し訳程度の畑にも、葉を生やした作物ができていて、鶏舎も準備しているし、やりくりで浮いたトークンで魚類もいくつか購入すると、ヨーグレイヒアのステイトもそれっぽくなってきた。
 申請が無事に通ると安心した気持ちになって、少しずつポリゴン感を消していく作業に移る。グレーズィングを迎えて良かったと思ったことは、動画配信サイトに気軽にアクセスできるようになったこと。そこには様々な分野の人が情報を上げていて、自分達の生活を好きなように改良し、似た考えの人たちも良い人生を送れるように、さまざまなアドバイスを発信してくれていた。
 ありがたいことにウーシャンは才能のある配信者であって、報酬のトークンとは別に動画再生回数に応じて毎月少額トークンを彼女に振り込んでくれていた。レートは小さいけれど確かな収入であるために、ヨーグレイヒアはありがたくそれらを貯めていく。マザーAIに、自分が自分の世界を構築してきた軌跡のようなものを、一つの動画にまとめてアップロードしたい、とお願いすれば、少しの時間をおいて良さそうな動画を作ってくれた。
 それを動画サイトにアップロードしてみれば、興味を持ってくれた人たちがパラパラと試聴してくれる。似たような動画はごまんとあるわけで、だからこそヨーグレイヒアは自分だけじゃない感覚を、得られて嬉しいような気分になっていた。
 そこへ、ウーシャンからインビテーションの類が届く。気づけばあっという間に一年が過ぎていて、今年もオゥシィァンの配信企画をやるけれど、未だにヨーグレイヒアの人気が高いから、今年の配信を終えた後、記念に一年後の君の姿の配信をしたいんだ、と。
 祝福の日に、朝食を終えた時間から始まって、一緒に訪れた様々な場所を思い出しながら散策をして、昼食、夕食まで撮って、さよならで締めたいんだ、と。
 かなり大掛かりな一日仕事になるけれど、これだけのトークンをお支払いするよと言われると、もう少し自分の世界の環境を整えたい彼女としては、感謝したい気持ちが混ざった了承だった。
 ポートに立って久しぶりにジィアンムー・ステイトを訪れると、われんばかりの歓声でヨーグレイヒアは迎え入れられた。一年前と変わらない素朴な雰囲気の彼女を見ると、視聴者も素朴な気持ちになれたらしい。会社へのノルマが社会への貢献度に変わったところで、支払われる紙幣がトークンに変わったところで、人々の競争心や見栄や劣等感などが、そう簡単に消えるというような話じゃないからだ。ただ少しだけ賢くなった人類が、ヘイト感情を隠すように忘れるように進化しただけ。
 ヨーグレイヒアの緊張をよそに、あの人は今? の配信は、ウーシャンの想像以上に上手くいったらしかった。あれから一人きりの世界に住んでいるというヨーグレイヒアも、誰もが思う「まさか」だったし、数百年前の言葉を用いて「引きこもりってこと?」と問いかけた、ウーシャンの困惑顔も面白かったのだ。
 人々はあの御曹司でも困ることがあるのかと、彼のことを身近に感じて好感を覚えたし、ヨーグレイヒアと付き合う時間は限りなく素朴に見えてきて、今年のオゥシィァンに選ばれた少年も、いつも通り自信に満ちた性格だったから、食傷を覚えたように彼女に穏やかに向き合う彼が、人間味があるように見え、良い男に見えたのだ。
 仕事について彼は決して良い人間ではなかったが、貢献度という点については誰よりもジィアンムーに尽くしている。そこへ人間味に対する好感度がついてきたなら、支払われるトークンは倍額くらいに跳ね上がる。
 たった一日の配信だったが大盛況のまま終わり、ウーシャンはヨーグレイヒアへボーナスまでつけてくれたのだ。お礼のメールを送ると、すぐに彼女は仕事を始める。手付かずのポリゴン地帯を細かく彩飾し、土を耕し畑を広げ、果樹の苗を購入し、紅葉を見せる木々を購入したら、季節感を醸し出すシステムを買ってきた。気象データを連動させると次々と欲しい「現象」が増え、中でも霧や夕立の日が表現されるようになると、ヨーグレイヒアの感性はますます癒された。ひっそりと星の運行データや蝕のデータも購入しておいたので、数年後には日蝕や月蝕も見られるはずだ。大それた考えだけど神様たちも、こうやって世界を少しずつ彩っていったのかな? と。日向ぼっこをする楽しみも増え、ヨーグレイヒアは満たされていた。これも全てウーシャンのおかげだと呟いて、マザーAIと動物たちと生きていた。
 翌年も、翌々年もウーシャンは招待状をくれ、人々の移動期間にジィアンムーに呼んでくれては、ヨーグレイヒアの今の生活と、招待してくれた場所の感想を聞くだけで、彼女にとって多額と思えるトークンを与えてくれた。ヨーグレイヒアの世界には娯楽施設や高層ビルが無いだけで、有り余る自然環境が贅沢なほど揃えられていた。いつしか買うものがなくなって、そんな生活を続けていれば、貯まるだけの環境になっていく。
 彼女が二十七歳の時、そう、グレーズィングを迎えてからあと一年で十年目になるという、節目になりうる年齢の年、立て続けに両親が亡くなったという訃報を受けた。彼女たちが生きているうち貯め込んだトークンが、ヨーグレイヒアの口座へと振り込まれてきたのである。添付されていたホログラムには良い顔をした二人が座り、良い人生を送ってきました、私たちは卒業です、と。あなたの人生も良いものになりますように。先に行って待っているわ、愛しい子。そんな胸を打つメッセージが添えられていた。
 そうか。もし子供を持ったなら、こうしたメッセージを送ることが常識になるのだな、と思ったヨーグレイヒアだ。お互い音信不通でも困ったことがなかったために、あまり落ち込む感じにも捉えられない風だった。彼らは彼らの人生を終え、それは良きものであったということで、それならよかったです、と思うだけ。決してヨーグレイヒアが冷たい娘ということではなく、生まれた時から親子が別に生活するような世界では、また別の道徳感と親近感が生まれるだけであり、ただそれだけの話であるということだ。
 けれど、同じ年、どうしたことか、ウーシャンからの連絡が来なかった。
 まぁ、そちらも特段契約書に縛られている類のものじゃない。だからヨーグレイヒアもそろそろジィアンムーの人たちが、自分に飽きてきただけだと解釈していた。自分の配信動画など恥ずかしてく見られたものじゃないから、一度も確認したことがない。ウーシャンのことも、一年おきにあう友人、程度の感覚だったから。
 次の年にもウーシャンからの連絡は来なかった。
 次の時にも、また次の年にも。
 そうして彼女が三十を迎えたときだ。少し人恋しくなった彼女は、ネットワーク・ステイトの移動期間、祝福の日を迎えて彼に会いに行こうと心に決めた。忙しいかもしれないことは重々承知だったので、彼の写真が反映された看板の一つでも見ようかと。
 ジィアンムー・ステイトにつくと、案内用のAIに、現在ウーシャンはどこで働いているのかと問いかけた。ヨーグレイヒアはAIから返ってきた言葉を聞いて、衝撃のまま立ち尽くす。

『ウーシャン・リェンは現在大きな取引には参加していません。ショウジュ地区のアパルトメントに一人暮らしをしています。なお、この情報はヨーグレイヒア様にのみ、開示されている状態になっています』

 どういうこと? と頭の中を疑問が巡った瞬間だった。

「待って。ウーシャンはジィアンムーのマスターの一人だったかと……それは同姓同名の人違いではなくて……?」
『人違いではありません。ウーシャン・リェンは三年前、トークン不正操作事件に関わったことにより、無罪判決を受けましたが責任能力を問われることになり、多額の賠償請求を受け、ほぼ全てのトークンを失う結果になっています。以後はショウジュ地区のアパルトメントで一人暮らしをしており、ヨーグレイヒア様からの問い合わせにのみ、居住通知を出す設定に』

 嘘でしょ……? と彼女は自分が落ちていくような感覚に囚われた。三年前、つまりあの頃彼は渦中だったかもしれない話だ。どうして連絡をくれなかったのだろう。確かに、だからと言って自分には、何もできなかっただろうけど。
 友人だと思っていた彼からの便りがなかったことが、一番悲しくて無力に感じたことかもしれない。ヨーグレイヒアはAIに感謝を述べると、良い一日を、と挨拶をもらい、ショウジュ地区へと急いで向かう。
 ステイトの中はどこも開放的に作られていて、大昔のスラムのような貧困地区は存在しないことになっている。存在しないように見えるだけで、法律上保証されている最低限のトークンしか貰っていないような人たちや、何にも貢献する気のないやる気のない人たちが、自然と集まってしまう場所は存在してしまっている。ショウジュ地区はジィアンムーのスラムの一つであるらしく、明るい通りなのだけど、どこか陰鬱とした空気が広がっている場所だった。どこにも隠れられない人たちが、どうしようもなく引きこもり、息をして最低限の生活を行うだけの場所。
 そんな通りに立った時、ヨーグレイヒアは悲しくなった。
 会ってくれるかわからないけど、先にウーシャンへと通知を送る。今、近くに来ているが、家を訪れていいか? と聞いた。返事がこないことも考え、ぼんやり道端のベンチに腰掛ける。この重苦しい景色の中で、空だけは気持ちいい快晴だ。足元のダンデライオンの頭を風が優しく撫でていき、どうしてそんなことになってしまったのかと、ウーシャンの身の上を哀れに思う。
 哀れに思うというのは失礼かもしれないが、生まれた時から御曹司という素晴らしい環境を、失ってこのような場所で過ごさなければならい時間は、どれほど辛く、悲しいことなのだろう。AIは「彼は無罪」というし、もし有罪を貰っていても、恩しか感じていないようなヨーグレイヒアは、彼を自分のステイトに連れていこうかと考えていた。
 その昔ヨーグレイヒアに、彼が強引にしたように。


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