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いつかあなたと花降る谷で

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妖精族のフィーナと人族のマァリの、のんびりした日常系恋愛小説。 さらっと考えたつもりが最後まで書きたくなってしまった系。
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いつかあなたと花降る谷で 第4話(1)

「おかえり! マァリ!」  出迎えたフィーナは陽だまりだった。  彼の好きな癒しの色、柔らかなお日様の色である。  少し前まで漂っていた物悲しい気分は消えて、彼女を一目見たマァリの頬に桃色がさしていく。  ただいま、と微笑する彼は”可愛い”方が似合うだろうか。茶化す人が居ないから、思う存分微笑める。  帰ってきた彼を歓迎するように、フィーナはいつも以上に献身的に振る舞った。そんなに尽くしてくれなくて良いのに……と、マァリが心配するほどに。  おやつはバターを落としたガレット

いつかあなたと花降る谷で 第1話(1)

 エージア大陸のスートランド地方、グリッツァー王国の端、光射す渓谷の奥、僅かに岩が迫り出す陰に、ひっそりと家を構えて住んでいる少女があった。  家、と言っても何代も前から、この家の住人が、岩山をくり抜いて作ってきた空間だ。母が亡くなり、父も亡くなって、家人はフィオフィストゥーナだけになったけど、雨も凌げて、畑もあるし、生活に困るような事はない。  それに、普段は隠しているが少女は希少な妖精族。背中には月下美人のような花翅(はなばね)を持っていて、バランスを取る為に伸びた尾翅(

いつかあなたと花降る谷で 第1話(2)

 フィーナの家の「庭」は、タタンの丘からは臨めない。代々、大地の妖精の血を引く彼女の能力で、崖から谷に迫り出した岩場の一部が、景色に溶け込むように見えなくなっているのだ。  遥か下方と呼ぶにはあまりに深い谷底は、頑丈な竜族でも飛び込むのを怯むほど。大陸の端に位置する牧歌的な王国は、自然が素晴らしいが自然ばかりが素晴らしい。  中央に近い場所なら観光地として成り立つらしいが、生憎、彼女が受け継いだのは端の辺鄙な場所である。国も一応、この地の所有は宣言するのだろうけど、困ってない

いつかあなたと花降る谷で 第1話(3)

 玄関ドアを潜ると、ぱっと広がる空間だ。  リビングとして使われている、一番広い部屋である。食事用のテーブルと椅子、奥の壁にはソファーと照明。中へ進んで振り向けば、広めの窓があり、窓際には観葉植物が置いてある。  窓の外にはマァリが勇気を持って飛び込んだ、タタンの丘から「見えない」フィーナの庭がある。庭には上の丘と同じ花々が咲き乱れ、小さな畑があって、全てが懐かしい風景だ。  フィーナに「座っていて」と言われたマァリは、彼女がお茶を入れてくれるうち、あちこち見回して、何も変わ

いつかあなたと花降る谷で 第1話(4)

 一人暮らしが長いぶん、フィーナはたくさんお喋りをした。  マァリが居なくなってから、暫く寂しく感じていたこと。まるで聞いたようにして、友達が訪ねてきてくれたこと。フィーナも同じように近くの知り合いの家を訪ねて、寂しさを紛らわせながら過ごしていたこと。  何度同じ季節を迎えたかは忘れてしまったが、少しずつまた一人に慣れて、それまで通りに過ごしてきたこと。  変わったことといえば、畑の野菜を変えたこと。友達を頼り人の集落まで赴いて、人に好まれる野菜の種を分けてもらった、と彼女は

いつかあなたと花降る谷で 第1話(5)

 腕まで冷え切る直前に、集め終わった二人である。  ストーブに集めた枝を入れ、火をつけた。円柱状の小さな燃焼用のストーブだけど、持ち運びも簡単だし二人用の湯を沸かすのに丁度良い。小さな鍋で上流の水を汲み、火が灯るストーブの上に鍋をかけたフィーナである。  重ねたコップの中に、茶葉を入れた茶漉しを入れて、そのあまりに合理的な方法に、見ていたマァリも「上手い」と思う。上品な淹れ方の紅茶も飲んだことのある彼だけど、生憎、それらの味の違いは分からない舌を持つ。  椅子にする石に座った

いつかあなたと花降る谷で 第1話(6)

「フィーナ! お早う!」  ばさっ、ばさっ、と羽音が響く。  背の高い雑草の群生地を進むうち、木漏れ日が小さくなってきて、大きな大きな木が見えた。まるで巨大なブロッコリーだ。見上げたマァリは人の世界の野菜を思う。  そこから落ちる木漏れ日がところどころ遮られ、羽音と共に生き物の気配が降りてきた。人間の腕の部分に当たる羽を動かし、赤髪をヘアバンドでまとめた女性の姿。地面に足がつく瞬間に、羽がすうっと腕に変わった。  彼女だけじゃなくこの大陸に住まう生き物達は、混ざったものの特

いつかあなたと花降る谷で 第1話(7)

 家に戻って早速ジャムを作り始めたフィーナである。  密花を大きな鍋に入れて、水に浸して洗う間に、朝露に濡れた服を着替えて、スカートを穿いてしまう。洗い物は浴槽の桶に、そこからキッチンに入った彼女はいつも使うエプロンをして、自分用の台の上に立ち、大きな鍋に手を入れた。  水が伝う筒の下で、一つずつ拾って別の鍋に入れていく。黄色い肉厚の花弁が鍋の中に咲いていく頃、浴室から現れたマァリが腕に洗濯物を掛け、「外に干してきちゃうね」と、すれ違いざま出ていった。  その中に自分の服も入

いつかあなたと花降る谷で 第1話(8)

 翌日、出来た密花のジャムを鞄に詰めたフィーナである。  服装は山を歩くため、昨日と同じズボンを選ぶ。  マァリも地味な出で立ちだけど、二人ともどこか華やかだ。一人一人ならそこまで目立たないかもしれないけれど、二人で並ぶから「明るく」見える。  朝食をとった後、家を出た二人である。  沢とミオーネの家がある方とは逆の、斜面の方へ降りていく。  少しずつ飛び出した岩場は間隔が広いため、魔法も使って器用に降りるマァリであった。フィーナはそれを見ながら、人族の男性は器用ね、と。そう

いつかあなたと花降る谷で 第1話(9)

「フィーナ、さっそく使っても良い?」 「どうぞ」 「ありがとう。ジャムを入れるのが好きなんだ」  ゆったりとした口調でポッサンが言う。  出された紅茶のカップは女性が好きそうな花柄で、ここにもその人の伴侶の気配が滲み、苦しく感じたマァリである。  他人のことだが、あるのは物証だけで、気配がしない静かな家が怖く感じたせいもある。止めようもなく次々と誰かが死んでいく戦場じゃなし、明るく穏やかな場所で誰かが亡くなる怖さの方だ。  育った環境が環境なだけ、なんとも思わないマァリだっ

いつかあなたと花降る谷で 第1話(10)

 そうと決まればポッサンは、家の中を整える必要があり、その間に二人には散歩に出るように促した。  フィーナのためにマーメーナが使っていた部屋を開け、窓を開いて換気をし、布団を外に干しに出る。人間のマァリのためには川魚を採りに行く。  昼間はパンとスープを出して、夜は魚と山菜にした。彼は料理も得意であるのでこのくらいはお手のものだが、マァリの口に合うだろうかと、僅かに緊張したようだ。  人間の友人は初めてだから、ポッサンも彼に好かれたい気持ちがある。もしマァリがフィーナと良い仲

いつかあなたと花降る谷で 第1話(11)

 マァリが外へ出てから意気込んだ様子のフィーナである。彼が頑張るなら自分も、という意気を感じたポッサンだ。ただ、いくら愛する妻でも亡霊の姿は恐ろしい。友人だった彼女へと、そんな姿を見せるのも躊躇った。  フィーナを何とか言いくるめ、マーメーナの部屋へ押し込んだ。もし亡霊じゃなかったら危ないから、とか、何とか言ったような気がする。あれだけハッキリ見える姿だ、死霊じゃないかもしれないと思う。マァリの意志が強かったから、ポッサンもつられて強気になった。  向き合おう、とも思えたよう

いつかあなたと花降る谷で 第1話(12)

 性格に問題がありそうだけど、お腹が空いた小さな子供を外に放置するわけにはいかない。大人しくなったのをこれ幸いと、ポッサンはチャールカを家に招き入れた。  夜中だというのにチャールカは、ポッサンが作った料理をたらふく食べて、我が物顔で振る舞うので呆気に取られた二人である。  マァリだけ人の社会でこういう人間をたくさん見たので、取り立てて驚くこともなかったが、それなりの大人しか住んでなかったこの山で、初めて目にした「子供」である。特に「妖精の子供」であるので興味があるし、ポッサ

いつかあなたと花降る谷で 第1話(13)

 バンシーとは一般的に「泣き妖精」のことを指す。  縁のある者の前に、死の告知者として現れる。  お前に死が迫っているぞと教えに来てくれる存在だけど、受け取りようによっては不吉な存在でもある訳で、好かれるようなものじゃない。  この大陸の人間は昔話風にして、そうした寓話を幼い頃に母親に読み聞かせられたりする。けれど、その本質は異なるもので、彼女たちの存在は、それだけに留まるものではない訳だ。  虫の声さえ静まりかえった深い夜。  黒揚羽の羽を持つ眠ったはずのチャールカを、マァ