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浅酌低唱:”酒蔵”中心性理論

米国MIT(マサチューセッツ工科大)のMedia Lab出身のBen Waberと2015年頃に取り組んでいた共同プロジェクトで、職場の生産性を可視化して空間づくりに役立てる、というものがあった。人と人とが相互作用をし、関わり合いを持ちながら生活をしていく。その人の単位が複数になり、それが家族や職場、コミュニティや会社、ひいては地域や社会、国家などへと昇華されていく中、それぞれの関わり合いのネットワークを数値化することで、仕組みの改善を試みるというものだった。

今こうして日本酒を仕事にし、全国の酒蔵を巡り撮影をし、その地域の人たちとの交流を増やしながら酒蔵のみんなの活躍を見ていると感じることがある。それは、今現在も酒蔵が残っている地域には残る理由があるということ。土地環境に基づく良い水や米であったり、人や商圏が集まりやすい交易の盛んな場所であったり、あるいは雪の積もりにくい土地だったり。

そうした光景を見るにつけ、前掲のプロジェクトで学んだ「中心性」という言葉が脳裏をよぎった。これを僕は「酒蔵中心性理論」と呼んでいるのだが、すなわちそれは「酒蔵は人流、商流において中心性の高いプレイヤーであり、酒蔵を起点に生活文化を創造することが地方創生の要となるのではないか」ということだった。例えば職場では、生産性が高く評価の高い人材ほど職場内における中心性が高い。これはその人が物理的に動くこともそうであるし、メールやメッセージ、カレンダー内のミーティングの時間なども自然とその人が中心になる。地域における酒蔵も広く見れば同様のことが当てはまるのではないか、という理論である。

酒蔵は米という農産物に付加価値を与えて大都市での商圏に売り込める存在である。仮に一升瓶(1,800ml)を作るのに精米したお米が1kg必要とすると、一俵(60kg)が2.5万円の酒米であれば417円である。もちろんこれは酒米の種類も精米歩合も考慮していないのだが、ポイントは417円分のお米に水、麹菌、酵母菌、そして人件費や設備が入ることで、お酒は3,000円で店頭で売られるということだ。そして飲食店で更に付加価値が付けられていくので、付加価値が上がる構造が2段階ある。食用米であればこうした価値向上は概ね1段階しかない。

また酒蔵は、歴史的に地元の名士であるところが少なくない。そして地元の冠婚葬祭との結びつきも強い。古くは領地の殿様の御用酒屋(造り酒屋)として、あるいは神社のお神酒として地域に貢献してきた。新酒が出れば杉玉が掛け替えられ、それを合図に近所から遠方から足が運ばれる。祝い事には酒が振る舞われ、地域の食文化に合わせた酒造りが行われてきた。飲食シーンでもお酒が振る舞われないことはなく、食生活に根強く結びついている。日本酒は地元の食文化の風景に中心的なメディアとして溶け込んでいるのだ。

そうした背景を鑑みると、酒蔵が地方創生の起点となり、人口減少著しい地域においても人の交流を増やし、商流を増やしていくことが可能になるのではないかと思う。カフェ、飲食店、サウナ、宿泊施設など現状様々な地域で”点”で行われている取り組みを、酒蔵を中心とした”面”での取り組みにすることで、雇用を生み、経済を活性化する一助となるのではないかと期待している。お酒を造ることは、サプライチェーンの上流である農家・生産者には材料の買取という点で還元できるし、下流では地元だけでなく都市部、世界に向けた新しい付加価値の提案もできる。そうして酒蔵が儲かることが、副次的にお酒を、発酵を楽しむ基盤をつくり、地域に人を呼び込み活性化することにつながるのではないか。

減り続ける酒蔵の現状と地域の不活性化を憂いながらも、交流のある蔵元たちの地元での取り組み姿勢を見聞きするにつけ、私個人としても何ができるのかを考える日々である。

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