見出し画像

推しの分裂、推しの増殖

 「DD」って皆さんご存知ですか?

 などとちょっと掴みを工夫したnoteかのように始めても、「知らねえよ!バカ!」と突然暴言を吐いて立ち去る人や、「あー、面白くなさそう」と思って立ち去る人、「そういえば今週のミステリと言う勿れをまだ見てなかった。TVerで配信が終わってしまうから早く見ないと」といって立ち去る人が続出し、結局誰も見ていない状態になってしまうので、変な工夫をしなければよかったのだが、もう仕方ない。もう一度述べよう。

 「DD」って皆さんご存知ですか?

 スノ(SnowManのやや玄人風の呼称)のヲタクであれば、デビュー曲でしょ、と思うかもしれないし、誤ってタイムリープしてきた20年前のジャニヲタであれば長瀬くんのドラマでしょ?と当たり前に思うかもしれない。

 しかし、私は10年前の48界隈のヲタクなので、DDといえば「誰でも大好き(Daredemo Daisuki)」の意味であると直ちに理解する。

 すなわち、グループ内の個人を推さずに、グループの誰でも好き、みんな好き、というのがDDである。以下のように使用される。

10年前の人「え、おれも実はAKBけっこう好きです。誰推しですか?おれは優子です。」
10年前のヲタク「あー、ぼくはDDかな」
10年前の人「DD?」

 ヲタクの言葉なのでその辺の人には通じないのだが、以上のような用法で使用される。

 ちょっとググってみると、48界隈に限らずヲタク界全般で使用されている言葉だと分かったのだが、最近新たなDDの形をしばしば見かけるような気がする。

 すなわち、グループをまたがるDDである。厳密には、DDとは異質のものだと思っている。

 DDといえば、あっちゃんも好きだし、優子もいいし、まゆゆもいいよな〜、曲もいいし、衣装も可愛い。

 というような心性に対してつけられる概念という印象を持っていた。「同時にみんな好き」というニュアンスが強い。

 しかし、最近見かけるグループをまたがるDDは、そうではなく、

 北斗(SixTONES)のヲタクだが、ソンフン(ENHYPEN)のヲタクでもあり、柾哉くん(INI)のヲタクでもあり、最近なぎさ(=LOVE)とシャオティン(Kep1er)のヲタクになった、もともとはあしゅ(乃木坂46)だけを推していた人

 みたいな感じなのである。

 すなわち、もともとは誰か1人(ないしは1グループ)のヲタクだったが、現在は複数のグループにそれぞれ個で推しがいて、それこそヨントンのためだったり、グッズのために(最近知ったのだがしばしばヲタクはカフェなどで小さな本人の全身パネルのようなものをカップの隣などに置いて撮影をしている)、それぞれの新曲が発売されるたびに大量のCDを購入しているわけである。

 この人たちが「同時にみんな好き」なDDと決定的に違うのは、ある瞬間で切り取ると、誰か一人のヲタクである、という点であると思う。

 彼女たちの心のなかでは、厳密には北斗くんとソンフンは同時に存在していない。北斗くんが好きな世界線と、ソンフンが好きな世界線で心が分裂しているように見える。

 それからジャンルを横断している点も最近の特徴なのではないかと疑っている。

 確かに、曲や服装などをみていても、スノスト(SnowManとSixTONESのこと)は従来のジャニーズっぽい曲もリリースしつつもK-POPに寄せた雰囲気の曲や格好が多く、明らかにK-POPヲタクが参入しやすくなっているので、横断すること自体は不自然ではない。

 しかし、10年前、たとえばAKBとSKEとNMBが好きで、という人はたくさんいたが、AKBで誰かの握手に通い詰めつつ東方神起のライブに韓国まで行き、水道橋駅周辺で嵐のチケットを求めて立っている人、というのはあまり聞いた覚えがなかったが(いたのかもしれないが)、最近のヲタクはそのレベルのことをしているように思える。

 宇佐見りんさんの小説「推し、燃ゆ」では、男女混合のアイドルグループの特定の一人を推している女子高生が主人公だったが、そのように誰か特定の一人を推す従来型のヲタクがいる一方で「複数の世界線でそれぞれ特定の一人を推す」ヲタクが増えている気がするのである。

 「Aが好きであり、Bも好きであり、同時にCも好きである」DDは、AとBとCという複数の人を同時に好きになってしまう自分を認識し、A個推しの人よりもAを応援する熱量が相対的に少ないかもしれないことを許容していて、それでもDDをしているわけで、全体対象的である。

 いっぽう「Aの個推しであり、Bの個推しであり、Cの個推しである」新型ヲタクは、それぞれ違うエリアで個推しをしている、という雰囲気によって、同時に推すことで相対的には薄まるという事実をうっすら否認しているようにも思える。この部分対象的なところが、場所によってキャラを演じ分けたり、接する人によって頼る役割を変えたりするように、分裂して生きることが可能になってきた昨今の状況と呼応しているように思えた。

 分裂しやすい状況とともに、供給過剰であることも新型DDが増えているように見える理由の一つなのではないかと思った。

 私はここ最近でI-LAND(ENHYPEN)→ガールズプラネット(Kep1er)→Produce101 SEASON1(JO1)→Produce101 SEASON2(INI)とサバ番(サバイバルオーディション番組)を狂ったように見続けていたのだが、見た結果デビューしたグループは全て推すようになったし、それぞれのメンバー全員の名前と顔が一致しているどころか、ここが好き、みたいな細かい好みもそれぞれのグループのそれぞれのメンバーにも出てきて、Twitterもインスタも、疫病や戦争の情報の5倍以上推しの情報が出てくるようになった。

 これだけ次々みたら最初に見た番組からデビューした子たちはどうでも良くなるのかと思ったらそうでもなくて、やっぱり心のなかの別のフォルダに保存されているみたいなのである。私も分裂している。

 今年もサバ番が幾つも放送されるらしいので、推しが無限増殖していくということになって、最後には一体どうなってしまうのだろうか。

 そもそも、私が最近なぜサバ番ばかりみているかといえば、2月以降誇大になれるような作業を封じ、現実的な作業のみをしていたため、現実を否認したい心が逃げ場所を求めたからである。また現実に向き合うようになったら、彼ら彼女らの存在は、心のどこかに一旦仕舞われるのかもしれない。

 私のなかの新型DD性は、蛙化現象人間関係リセットに似て、親密になることの難しさとリンクしているような気がしていて、そのことについては今絶賛推敲中の偽者論で述べている。ぜひ刊行をお待ちください。



いいなと思ったら応援しよう!