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全テ嘘ダラケ #4「嘘✖️嘘🟰」

眠れないーーー
そんなとき、わたしは古のニコニコ動画を開く。
画面上を勢いよく文字が流れ続けているのを見ると、なんだか落ち着くのだ。
今日も流れるようにニコ動を開く。
何度も見ている、お気に入りの動画だ。もう、どのタイミングでどういうコメントが流れてくるかも把握している。これぐらいが、子守(子守とは)歌(歌とは)にちょうど良いのだ。
やっと眠気もやってきて、ぼんやりした目で画面を見ていると、見たことのないコメントが流れてきた。

コメントというか、顔文字だ。

昔2ちゃんねるの掲示板でよく見たような、よくできた顔文字だ。
杖をついたおじいちゃんと、寄り添うおばあちゃんの顔文字だ。

あまりに精巧な顔文字なのでよくよく見たいところだが、何せ頭がぼんやりしているのでまなこが開かない。
おじいちゃんとおばあちゃんの絵文字、かわいかったな。
あれ、本当に絵文字だったのかな?
やけにリアルだったけど。
もしかして、スピリチュアルなものだったかな。
だとしたら、わたしのおじいちゃんとおばあちゃんだったのか。



わたしを文字通り「姫」扱いしたおじいちゃんおばあちゃん。
長いこと孫はわたし一人だったから、たいそう可愛がってもらった。

孫以外には厳格なおじいちゃん。
みんなに優しいおばあちゃん。

早くひ孫が見たいと言ったおじいちゃん。
人生好きなように楽しめと言ったおばあちゃん。

人に対して愛情を持つことと、好き嫌いは別なことを知った。

おじいちゃんは永遠の80歳。
おばあちゃんは今年米寿。数年前、「もう何年生きられるか…」と気弱発言しておきながら500万円かけて家をリフォームした(「10年生きて元取らなきゃ」らしい)元気な女性である。

わたしが覚えている限り、おばあちゃんがわたしに「好きなように生きたらいい」と言い出したのはおじいちゃんが亡くなってから。

おばあちゃんが、もし都会に生まれていたら、
時代が違ったら、違う生き方をしていたかもしれないなと想像する。



わたしの母は、最近、わたしのちょっとした言動が「おばあちゃんにそっくり」と笑う。
わたしがおばあちゃんと暮らしていた時期なんて、ほんの少しなのに。

入院しがちな母と帰ってこない父。親のいない入学式と卒業式。

ほんの少しなのに、おばあちゃんイズムがわたしに染みついているんだろうか。

「あの人は殺しても死なない」と実の娘であるわたしの母に言われているおばあちゃん、と、そっくりと言われたわたし。

これからも思う存分、好きに生きよう。



ふと気づくと、スマホの画面が真っ暗になっていた。一応、自分で画面オフにしたようだが記憶はない。
窓の外は明るく、少し騒がしくなってきていた。
ニコ動はわたしの睡眠導入剤。今日もよく効いてくれた。
それにしても、あのリアルな顔文字はなんだったんだろうか。
今週末、おじいちゃんの十三回忌(&おばあちゃんの米寿お祝い)があることをふと思い出した。

おしまい

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