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ワタシが離婚するまでー1ー

私が離婚したのは、もう7年前のこと。

アルコール依存症であった元夫とは、同棲期間4年を経て結婚した。

私はその頃大手の出版会社に居て、初めての産休•育休を取得した。戻れるだろう…と安易な考えだった。まだ、待機児童が溢れ保育園難民になることも知らずに。

結婚に至るまで、元夫はたびたび暴力を振るった。彼は義理の父から幼少期から激しい暴力を振るわれている事も知っていたし、実父は早くに他界したことも把握していた。

故に家庭を築きたい気持ちは誰よりも強かったはずだ。

私は、頭の回転も早く論理的に話すところが嫌いだとも言われた。

産休後、無痛分娩を行なっている産婦人科を探し、三日間ありとあらゆる措置を行ったが娘は頑固だった。

帝王切開を決意して「お腹切ります!」と主治医に伝えたことを今でも鮮明に記憶している。

血圧は0を切り「このまま死んでしまっても、この子が幸せならいい」と思って手術台にいたこと思い出す。

前夫の母親も毒親であり、孫である娘と別に会いたくないことを聞いて私は酷く傷ついた。

子を思わない親はいる。親を思わない子はいない。

その時、言葉の意味がストンと腑に落ちたのだった。

続く


なんでも嬉しいお年頃です!よろしくお願いいたします🙇