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親子カウンセリングについて。

私と娘は、NPOサポチルという
発達支援や心のサポートがいる子供たちと親の
カウンセリングに通っています。

なぜ、親子カウンセリングに通う事になったかと言うと「親権者変更及び面会者交流調停」を
申し立てられた2018年。

私は窮地に立たされていました。

法廷では、色んなある事やない事を相手側の弁護士に書面で出され疲弊していく日々でした。

ただひたすらに、絶望もしていました。
そんな時、面会交流を嫌がる娘が深夜馬乗りになり
「会いたくない」と私に馬乗りになり首を絞めました。小さな小さな手で。

この話を担当弁護士にした所、サポチルを知る事になりました。
すぐ、メールでのやり取り。面接とサポートが開始されました。

私は離婚自体は、娘が8ヶ月の時に元夫からDVを受け、軟禁されました。元夫はアルコール依存症を重度に患っていたこともあり相当なスリップでした。

今になって思えば、機能性不全同士の家族で育った者同士には保育園激戦区で出口が見えない不安があったのだと思います。

まるでドラマのようにタクシーを呼んで
逃げる後追いかける娘の父の姿の事は今でも忘れられません。

しばらく、東京の友人やホテルを転々としました。スーパーで買った有り合わせのアトムの服すら今でも記憶に残っています。

東京から戻り頼る実家も無く
娘と小さいながらも周りに助けられ小さく暮らしていました。(引きこもりの兄と働くしかない共依存の実家なりに色々やってくれる事はやってくれたと思いたいです。少なくとも今は。)

調停期間は3年にも及びました。
その期間、私は担当のY先生と何を話したか
実は全く覚えていません。

ただ、調停を大きく揺るがしたのは
紛れなもく記された先生たちの見解でした。

プレイセラピーを通して、娘自体が娘を
どう感じているか綴られていました。

内容はここでは伏せますが、読んでいて専門的てでありながら分かりやすく胸をうちました。
と、同時に先生達の有り難さを知りました。

5歳の精一杯のサインが散りばめられた意見書。

そして、3年半に及ぶ調停は全てこちら側の希望通り進みました。

ですが、私自身蝕まれたような時は続きました。

娘の不登園も度々あり、卒園式までが
長かったように思います。

そして、小学4年生目前の春。

先生達のおかげで、主観に偏ることなく
吐露しながら時には先生とぶつかりながら
泣きながらここまで歩んできました。

親は子を産めば親になれる訳ではありません。
子供と共に失敗し泣いて笑って傷つき共に成長するのだと思います。

私の場合は、私が家族のルールを作るということもありゆるゆるな所も沢山あります。
その時先生に「〇〇の場合もありますね」と言われハッとなる事もしばしば。

もちろん交際相手の状態や私の精神状態や
経済状況や友人関係、すべて
占いの話も受け止めて返していただきここまできました。

現在、娘は週2回不登校です。今年の1月から親友の不本意な子供同士の絶縁。これらは毎晩泣いて胸を締め付けました。

「〇〇ちゃんがかわいそう」自分では彼女はいつもありません。相手軸になってしまっていました。私はそれがとても辛かったです。
アダルトチルドレンで言えばリトルナースのような役割です。

また、2月に別れた交際相手の深夜の罵声もです。
娘はよく元交際相手を電話で励ましたりしてもいました。ここでもリトルナースです。

私の幼い時と被りながら、どうにかしてやれないものか。どうしてこうさせてしまうのだ。
私なのか、周りなのか錯乱してしまう時も沢山あります。

今も何もなんでもないふりをしているようで
起立性調節障害でもない娘の助けてのサインでもあります。

娘が強く乱反射する時、私はいつも出来るだけ深く掘り下げます。観察することです。

さて、もうすぐ学期末の振り返りです。

いつもお世話になっているY先生・M先生。

50分1本勝負これからもよろしくお願いいたします。

そして、ここまで長い文書を読んでくださった方ありがとうございます。

稚拙な文章となりますが、NPOサポチルに深い感謝を。

なんでも嬉しいお年頃です!よろしくお願いいたします🙇