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歳をとるのも悪くない

年の瀬。
バタバタしているのはいつものことだけど、
さらにテンパる12月の我が職場よ。
さらにさらに今年は、クラス担任をしていて、尚且つ『生徒支援』という
学校の要となる分掌も担当しているM先生が、急病で数週間不在となった。
そこですぐに代理の教員が配属されるなんてことはなく、
現場の教員で授業をあれこれ分配し、
分掌仕事もなんとか手分けして回していかなければならないのが
辛いところ。
仕方がないので、学年主任のS先生が代理でクラス担任をすることとなり、
M先生と同じ教科を教えている私が、彼の授業を引き受けることとなった。

これがなんとも、キツイ。ツライ。
気付いてみたら、私の授業時間数は最も多くなり、
かといって私自身が担当している授業以外の分掌仕事
(会計だの、部活動だの、国際理解だの)が減るわけでもない。
しかし、授業をするのがなによりも好きなので、
まだ教えたことのない生徒たちと1から授業を作り上げていくのは
楽しい。ワクワクする。

そして誰よりもツラそうにしているのが件の学年主任、S先生。
普段から明るくて、近所のスーパーならあそこが安いだの、今日は肉の日だからグラム1,000円の肉を奮発するだの、そんな主婦トーク?でひとしきり盛り上がれるお方。(注・S先生は渋い中年男性です。)
学年主任と担任業務を兼任するのはやはり相当きついらしく、
そのS先生から笑顔が消え、なんだかトゲトゲしい日々が始まった。

つい先日の朝のこと。
「○○のプリントが無い!あれ今朝要るんだよな!どこだ?」
と誰にでもなく叫びちらしていた。
そのプリントというのは、担当である私が数日前に先生方の机上に
置いておいたもので、その日の朝のホームルームで生徒たちに
配布するはずになっていたもの。
挙句の果てには、
「あれ配られていたっけ?オレまだもらってないような……」
と言い出す始末。その行間に隠された「○○先生(私のこと)、オレの机に置き忘れたんじゃね?」という声にならない声が、
斜め前に座っている私のところになんとなく伝わってきた。
やがてチャイムが鳴り、他の先生方はそのプリントを抱え、
ホームルームをするために各教室に行ってしまった。
バタバタしていたS先生も、とりあえず教室へ向かった。

今年度はクラスをもっていない(=担任をしていない)私は、
教室へ向かう必要はないので、職員室に残っていた。
そして黙ってS先生の机付近に近寄り、件のプリントを探した。
日頃の激務のせいか、もともと汚い整理整頓が行き届いていない
S先生の机上はファイルやプリント類だチョモランマと化していた。
その山を崩さぬよう、そーっとそーっと書類をどかしてみると。。。

あった。


私は急いでそのプリントをS先生のいる教室へ向かい、
黙ってそっと手渡した。
これがひと昔前の私だったら、「ちゃんとS先生の机上にありましたよ!(=私は配り忘れてなんかないわっっ」と強い口調で言い放っただろう。
でも私は何も言わなかった。
S先生がテンパっていて相当疲れているんだなということがわかるし、
なによりもここで重要なのは、時間内に生徒たち全員にそのプリントが配布されるということだ。誰が失くしたとか誰が置き忘れたとかいうことは関係ない。

こんな風にものごとを、一方向からだけでなく、様々な角度から見られるようになったのは、ここ数年のことだ。
価値観の異なる赤の他人と暮らす『結婚生活』というものと、
どんなに努力しても思い通りにいかない『子育て』というものを
経験したことが大きいのだが、それだけではない。
人生の折り返し地点を過ぎるこの年まで生きてきて、仕事や日々の生活の中で様々な人と出会い、好むと好まざるとにかかわらず関りを持ち、その都度悩んだり悔しい思いをしてきたおかげなんだなと感じる。世の中にこんな意地の悪いことをする人もいるんだ?とか、こんなに何もかもに対して悲観的にとらえる人もいるんだ?というような人々。
もちろん素晴らしい出会や喜びもたくさんあるのだけれど、私自身“鍛えられたな―”と感じるのは、あまり良くない対応をされた人々からだ。

でもそういうツライこと、納得がいかない腑に落ちないこと、ショックなことなどを経験せずに、好きな人や物に囲まれて、ぬくぬくと育っていたら、今頃私は、人の痛みなどわからぬ傲慢で鈍感な人間になっていたに違いない。

だから私は履歴書の長所の欄にいつもこう書くの。
『臨機応変な対応力』
まあもっとも、
この歳になるともう履歴書なんて書くことはないんだけれど。






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