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“どゆこと星人”に物申す

私の所属する自治体の中学校は、週に4時間英語の授業がある。
まあほぼ毎日あるのだが、勤務校はクラス数も多く、その分時間数も多くなるので、もう一人、M先生という、とてもおっとりとしていて品のある優雅なマダムと分担することになった。
彼女が文法メインで教えており、私はリーディング、ライティング、リスニング、そして、スピーチなどのプレゼンテーションを担当している。

英語の授業は、基本英語で行うべしというお上からのお達しがあるにもかかわらず、日本語で進めることが多い。特に文法の場合、文法用語が難易度高すぎるため、「auxiliary verb(助動詞)のあとに続くverb(動詞)original form(原型)になるから……」などと説明しても、理解するまでに時間がかかりすぎてしまい、それは効率的な学習方法とは言えない。

これは私の持論であるが、外国語学習において、文法は大事だ。一番大事。単語力も大事だけれど、まず文法がしっかりと理解できていなければ、ある程度のレベル(初級~中級の上)まで行けても、上級への扉は開かれない。 だから、母国語である日本語を用いて細かい部分までしっかりと説明して、確実に理解することが何よりも必要だと私は考える。

にもかかわらず、私は、授業で日本語を使いたくない!
本当に矛盾しているようだけれど、授業中は、少なくとも私の口からは、
いっさい日本語を発したくないのだ!
だって、授業ひとコマ、たった50分。なにが哀しくて、生徒に日本語を聞かせなければならないの?せっかく英語脳になっているところに、ひと言でも日本語を使ってしまったら、もう台無し!(個人的な見解です😅)

そんなわけで私は、視覚教材(手作りの絵カードや小道具、写真、時には実物も)、大げさなジェスチャーやシンプルな英語などを駆使して授業を行い、できるだけ日本語による説明が必要ないように日々悪戦苦闘している。
年度始めの打ち合わせの時に、私の担当は文法以外の部分と聞いて、ホッとした~。(文法教えるのキライ😅)

生徒にも初回の授業で、そんな私の思いを伝えた。
「この英語Bの授業は、できるだけ英語で進めたい。わからなければもちろん日本語で質問OK。もし当てられたら、何か発話してほしい。わからなくても、まちがえてもいいから。」

生徒たちはザワついた。「え?どゆこと?どゆこと?」という、私が忌み嫌う日本語があちこちから聞こえてきた。
彼らは「どゆこと?」って本当によく使う。
私「4人グループ作って~」
生徒「え?どゆこと?」
私「はい、じゃあこの列とこの列ペアになって~」
生徒「え?どゆこと?」

おまえら全員、
“どゆこと星”から来た“どゆこと星人”か⁉

暴言おゆるしを……💦

波乱の幕開けとなったが、4月以降、日本語も交えながら、どうにかこうにか楽しく(?)授業を進めてきた(つもり)。

ところが、今日、私は教師としてあるまじき暴言を吐いてしまった!授業中に!生徒の目の前で!これがアメリカの学校なら免停もの!!!
いったいどんなことを言ってしまったのか説明するまでに、苦しい言い訳をさせてほしい。

私の授業は、生徒をバンバン当てる。ランダムに。突然に。
しかも「どう思う」的な質問。
教科書のどこを探しても答えは載っていないような質問。
生徒が一番嫌うやつですね💦💦💦
だって教員が一方的にしゃべる講義タイプの授業なんてつまらないんだもの。

当てられたら生徒は黙る。何も言わない。
当てられて答えられない生徒の沈黙、これも私が大嫌いなものだ。
だって1人当てるでしょ?その生徒が黙るでしょ?1分黙るとするでしょ?
36人の生徒全員がそれやったらどうなる?
授業が成り立ちません。

でも生徒たちは頑なに答えようとはしない。
なぜだと思います?
答えがわからないから?
それもあるかもしれない。
でもそれだけではありません。

彼らは、間違えたくないのです。
間違えたら恥ずかしい。
周りの人に変に思われる。
だから、100%合っている、正解しか言いたくないのです。

私は4月からずっと言い続けてきた。
「間違えてもいいんだよ」
「わからなかったら、I don’t know.って言ってもいいし、日本語ではわかるけど、英語でどう答えていいかわからないときは、日本語でいいから、とりあえず何か言ってごらん?」
もう何万回もこうやって生徒を励ましてきた。
もし生徒が間違えたら、「Nice mistake!」と間違え方を褒めたり、何か言ってくれた生徒には、たとえそれが見当外れな意見だったとしても、「OK, good job!」と、一旦は、その生徒が言ったことを受け止めてきた。
にもかかわらず、生徒たちは間違えないようにしようと必死だ。

そして今日、授業中に、ある生徒が一生懸命、となりの生徒のプリントを写しているのを見かけた。その生徒はまだ今日1回も当たってなくて、そろそろ当たりそう、ヤバい、と思ったのかもしれない。

気持ちはわかる。わかるよ、とっても。でも、その必死で写している姿を見て、私の中の何かがプツッと切れた。

「きみたちの仕事は、そのプリントを埋めることなのか?毎日毎日、お家の人が早起きして朝ごはんやお弁当を作り、きみたちも眠い目をこすりながらがんばって起きてきて、重たい荷物を背負って学校に来て、それでとりあえず、このプリントに何か書いておけばそれでOKなのか?そこには、“考る”とか“迷う”とか“気づく”とか、そういう動作は必要ないのか?       That’s bullshit!!! (そんなのクソくらえ!!!)」 

暴言おゆるしを……💦(←2回目)

そこまで言った後に、私は少しトーンダウンして(今さら💦)、
「当てられて正解を言うことがキミたちの仕事じゃないよ。答えがわからなくて困る、どうしようと焦る、間違えたことを言ってしまって恥ずかしい、そんな“気持ち”を経験するのが今のキミたちの役目だよ。学校生活を通して、もちろん、楽しいとか嬉しいとかそういう気持ちも味わってほしいけれど、迷ったり、困ったり、恥ずかしかったり、納得がいかなくて悔しかったり……そういう気持ちもたくさん経験してほしい。その経験がないまま学校を卒業して社会にでたら、どういうことになるか、想像してみてごらん。
今なら、間違っていても怒られないし(わざとじゃなければ)、失敗しても非難されない(わざとじゃなければ)。それは“学校”という小さな社会にキミたちは守られているから。」

……というようなことを、英語まじりの日本語で、いや、日本語交じりの英語か?で熱く語ってしまった。生徒たちは全員私の方をしっかり向いて、黙って聞いていた。わかったのかわからなかったのかはわからないけれど……


はぁ~それにしても、いくらなんでも、bullshitはないわー💦
どうか誰も意味が理解できていませんように……(この部分だけは)


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