見出し画像

「身の丈」を知る

先日、2か月ぶりに美容院に行きました。
私は直毛の黒髪ロングですが、地毛はくせ毛でうねりがひどく、半年おきに縮毛矯正をかけ直す必要があるので、今回はそのための美容院でした。
ただ、同時に気になっていたことがあります。

「鞄を肩にかけて持つとき、髪がひっかかってイライラする」
「ブラッシングのとき、ひっかかりがひどくてイライラする」

要は「扱いづらい」のです。
この「イライラ」は、自分が「扱える」範囲を超えているから生じるもので、ヘアスタイルが自分の生活にフィットしていないことの顕れでした。
同時に、最近の生活(自分に余裕がなくいっぱいいっぱいで、ちょっとしたことでカチンときたり、メンタルがぶれたりする)を表してもいるような気がしました。

「キャパオーバー」の状態

少し過去の話をします。
私が一番最初に自分のキャパシティを自覚したのは、最初の結婚を機に引っ越しをして、それまでやっていた仕事とは全く別の部署に異動したときでした。

要は、変化の大きさに身体がついていけなくなったのです。
普段の自分なら頑張れるようなことができなくて苦しかったし、なんであんなことを言ってしまったのか、やってしまったのか分からないようなこともありました。
自分が自分でないような感覚。
「自分ができる範囲で、成長のため少し負荷をかけて頑張っている」のではなく「無理をして、できないことをやり、受け入れ容量を急に広げている」。
反動が来るのは当然で、そのうち夜眠れなくなりました。
結婚生活に終止符を打ったことに後悔はありませんが、もう少し自分のできること、容量をよく知っておくべきだったな、と思います。

最近までの仕事で自分の感情を振り返ってみると、ただただ他人への苛立ちが大半を占めていました。
直接関係ない仕事に巻き込まれる、無責任な人の準備不足、上司の心無い一言。無神経な人。
プライベートでは思うように進まない婚活。
自分の感情がキャパオーバーだったような気がします。
その状態が、イライラするほど伸ばしてしまった髪と無関係なわけではないと思っています。

髪に縮毛矯正をかけ、胸まであった髪をいったん鎖骨下まで切ったら、かなりすっきりしました。
切った髪がほうきで集められていくのを見ていたら、イライラもどこかに消えていきました。
メンタル的に抱えてしまったことが大きかったため、今日はいったん仕事から離れ、1日自由に過ごす日と決めてnoteを書いています。
私は頭で考えるスピードが速いので、自分の思考を、自分の中だけにとどめておくと、大変なことになります。
最近は書く時間をまとまってとれなかったのも、イライラをため込んだ原因かもしれません。

仕事をそんなに一度にやらなくたっていいのに。
全部自分でやらなくてもいいのに。
全部を自分でこなしたい私のプライドが、また私の容量を超えてしまいました。

「自分に似合うもの」のなかから「扱いやすいもの」を選ぶ

髪型に話を戻します。
私が黒髪ロングを選んでいるのは、カラーによる退色がなく、傷んで見えにくいことと、ロングのほうが顔に似合うとわかっているからです。
(婚活のために伸ばしているのもあります)
でも、長すぎる髪は「自分にとって扱いやすいもの」ではありません。
きれいに伸ばせたとしても、自分の日常生活で長すぎると感じるのであれば、それは自分に合っていないのです。

同じ話でいうと、靴もそうです。
私はヒールが高く先がとがったパンプスが似合いますが、仕事できっちり見られたくて履き続けていたら、足が痛く外反母趾になりかけてしまったため、「扱いやすいもの」ではなくなりました。

「おしゃれは我慢」
とはよく言いますが、ケアできていない髪と、痛い靴を履いて、本当に笑顔でいられるでしょうか。

「自分が快適に、健康に過ごせるもの」
「自分の笑顔が引き出せるもの、魅力が引き立つもの」

これをわかったうえで選ぶことが「お洒落」だと思います。
「我慢」の上に、本当のお洒落は成り立たないと思います。

「身の丈」を知る

髪の長さ、服の丈感、鞄の大きさ、ヒールの高さ、ネイルのデザイン。
すべて「自分に似合っているか」が大事ですが、「自分がうまく使いこなせているか」=「身の丈に合っているか」が、とても大事です。
「お洒落」とは、非日常でするもの、みんなの前でかっこつけてするものだけではありません。
日常の生活に、うまく取り入れられるものであること。
日々の装いで自分を好きでいられること。自然体で、笑顔でいられること。
本当にお洒落な人とは、自分の「身の丈」を知って、合うものを選んでいる人のことだと、最近思うようになりました。

まだまだ、お洒落は勉強です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?