見出し画像

キャンコレストーリー ~モデル局長になるまで~

モデル募集のdmでキャンコレを知ったのが高校3年生の夏。なんだか怪しいイベント団体。
ファッションショー作ってるっぽいけど、どんな規模なんだろう。

モデルレッスンの動画を見て、すごい楽しそうだなーやりたいなーって思ったんだけど、親に反対されました。バイト禁止の高校で、レッスン費や交通費も出せなくて…。
大学生になって、バイトして、全部自分でできるようになってからやりな、って言われたんです。

当時、専門学校に進学するか、大学に進学するか迷っていた私が大学の受験勉強を始めたのは、このキャンコレがきっかけだったんです。


今まで勉強と部活、言われたことだけやってきたけど、私にはやりたいことがたくさん。美容の研究、毎日のおしゃれ、塾の講師、飲食店スタッフ、アパレル、ブライダル、着付け、いまだにできてないものもたくさんある程。
もちろんキャンコレもやりたいことのうちの一つ。

だから、「このやりたいことをやって自分磨きをする4年間を作ろう!」
そう思って、学生の4年間を全力で楽しむためだけに、受験勉強を始めました(笑)

そして、待ちに待ったキャンコレデビュー。
大学に入学してから2か月ぐらいたった頃、ようやく始まったモデル募集。
詳細を見て発覚したチケットノルマ。
インスタの裏垢でリア友何人がチケット買ってくれるか聞いたよね(笑)
でもずっとやりたくて、なんならこのために大学生になったんだからと、思い切って応募しました。

モデルに合格して、初回オリエンテーション、かわいい子やスタイルがいい子がたくさんいたのもそうだけど、なによりもえっちゃん先生。(キャンパスコレクションのモデル講師をしてくださっている先生)えっちゃん先生のオーラに圧倒されました。自分の周りの友達では見たことがない、勝手に引き付けられるようなオーラ。

この時初めて、将来こんな仕事がしたいこんなことをしたい、じゃなくて、こんな『女性』になりたい、そう思いました。

外見がきれいなだけじゃなくて、初対面の私でもわかる、内側から出てくるオーラにとにかく引き付けられました。

そんな人になりたくて、ウェディングドレスを着たくて、MCCもやりました。(MCC:ミス・キャンパスコレクションの略称。キャンコレの顔を決めるミスコン企画)
面接で、「ファイナリストになったらチケット50枚売ります!」なんて宣言をしてしまったので、ファイナリストに選ばれたのはとっても嬉しかったけど、正直50枚売るのは大変でした。
でも、やっぱり50人の歓声は桁違いだった。自分がステージに出た瞬間、友達が応援してくれる歓声が聞こえて、みんなのあったかい気持ちが心の奥まで届いて、頑張って50枚売ってよかったなって思ったし、なによりそのステージ本当に本当に楽しかった。素敵な思い出。

でも、私はグランプリになれなかった。なれないのは分かっていたけど、悔しいものは悔しいもので、なんでとれなかったか考えました。

グランプリになりたいって思ってなかったんです。

私の中では、ウェディングドレスを着たい、チケット50枚売らないと、友達にたくさんのステージを見たもらいたい、これぐらいしか考えてませんでした。
毎日やることに追われて、一番大事なことを考えていなかったんです。もったいないことしてたなと思いました。
と、言っても、こう気づいたのはスタッフの活動を始めてしばらくしたころね(笑)

そう、2回目のキャンコレからはスタッフとして参加しました。
レッスンで会うスタッフさんが楽しそうだったから。単純な理由で始めたものだけど、自分がやってよかったって思ったのと同じように、100人ものモデルがやりがいを感じてくれて、自分がそのきっかけを作れるのであれば、なんでも頑張れたんです。

スタッフの仕事は地味で、モデルの名簿作り、レッスンの動画撮影、パソコン作業。でも、これがないとファッションショーってできないんです。そう考えたら、私もモデルのやりがいに貢献できてるって思いました。

そして、そのまま名残で続けた3回目のキャンコレは、MCCのリベンジになりました。
個人プレイが得意で集団行動が苦手だったから、みんなで一つのものを作ることをしたくてMCCのスタッフになりました。 

でも、思い返せば、MCCファイナリスト時代、悔しい想いをしてたんです。
全然意味が分からなかった、「最強のミスキャン」の意味がようやく分かったんです。
みんながみんなグランプリにこだわって、自分のなりたい像に向かって突っ走る、でもグランプリが決まったときはお互いが認め合う、そんな最強のミスキャンを作りたい、それを作ることがキャンコレへの恩返しだと思いました。

そしてサブディレクターとして、人事として、やり切れた、キャンコレ卒業!
と思っていたのですが、どこかには2年間やってきたモデル局から離れるのが寂しかったり、大好きな幹部陣からキャンコレを引き継ぎたかったりする気持ちはありました。
そんな時、一緒に頑張ってきた仲間と再開して、
何かあったら助けに行く、何かあったら助けてくれる、
そう思える人たちがいて、私は失敗しても、大丈夫、
むしろ、そんな仲間をこれから作っていきたい、そう思いました。
なのでモデル局長やります!

私が好きなキラキラオーラっていうものは、外見が綺麗とかじゃなくて、
「これだけ頑張ってきたから、今の私ならなんでもできるかも」
っていう自信からくるオーラなんです。

モデル局みんなで、キャンコレにいるみんなで、自分のやりたいことに夢中になって、
これだけみんなで頑張ってきたから、これからも何でも頑張れそう!
そんな自信で、キラキラで、あふれるモデル局にします。
キャンコレの誰を切り取っても、大学生の憧れでありたい!!

キャンコレの新木優子

#HOLIってる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?