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【日本とカンボジア】終戦後のシアヌーク国王の訪日とその背景について
まだ使い勝手が分かっていませんが、はじめての投稿です。来年の日本カンボジア国交樹立70周年記念に向けて、両国間の隠れた交流や歴史などいろいろ調べていますが、まずは終戦後のシアヌーク国王の訪日とその背景について簡略にまとめてみました。
1952年の春に、ラ・マルセイユ号で観光客として初めて日本を訪れています。残念ながら、どこに行かれたのか、詳しい資料はまだ見つかっていません。
2回目の訪問は、1953年4月23日から5月13日にかけて、独立十字軍運動のため、「微行」の資格で日本に滞在しました。フランスとの独立交渉の様子を伺い、日本滞在を延期したと言われています。外交自主権を回復したばかりの日本にとって、非公式ではあるが最初のアジアからの国王来訪であり、昭和天皇は皇居での茶会に招待するなど手厚い接遇を行いました。奇しくもシアヌーク国王がカンボジアに帰国した5月14日に誕生した王子にはトウキョウとの愛称が与えられ、それが現在のシハモニ国王です。
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その数ヶ月後、1953年11月9日にフランス連合から離脱し完全独立をしたカンボジア王国では、シアヌーク国王は退位し、自ら首相兼外相として政府を主導しました。建国間もない 11月27日には、在プノンペンの吉岡公使を通じて日本への賠償請求権の放棄を通告しました。
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1954年12月15日、読売新聞夕刊一面
そして3回目は、1955年12月4日から10日にかけて「国賓」として来訪されています。日本滞在中、9日に締結された日本カンボジア友好条約は、カンボジアが独立後、また日本が講和発効後、それぞれ外国と締結した最初の友好条約です。滞在中には、陛下への謁見と宮中晩餐会の他、衆議院においては戦後賠償放棄への感謝決議が行われています。滞在中には、日本人のカンボジア移住計画を働きかけるなど、大きな注目を集めました。
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この3回の日本訪問だけを見ても、シアヌーク国王には、日本への特別な想いがあったように感じられます。
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