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【日本とカンボジア】大宅壮一とシアヌークと太平洋大学

1968年から翌年にかけて、「泥と炎のインドシナ」の著者でジャーナリストの大森実さん主催の「太平洋大学」という大型客船の企画が5回開催され、合計約3,000人の若者が参加した。

太平洋大学の見送りシーン
太平洋大学について、週刊サンケイの記事


第二次大戦後初めてとも言われる大勢の日本人がカンボジアに訪問した際には、シアヌーク殿下は歓迎の意を込めて臨時の国民の休日を設けたそうだ。


太平洋大学の名誉総長は、あの大宅壮一さんだったが、シアヌーク殿下は、「もし大宅壮一が同行するなら、太平洋大学の一行は入国させない」と断言してきたそうだ。記録では「シアヌーク殿下は国際乞食だ」などの大宅の著述にシアヌーク殿下が激怒されていたのがその理由だとある。ずっと気になっていたが、大宅がアジアを旅して記したその本を見つけた。


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日本にくると「日本は私の恋人である」といい、その足で中共、ソ連を訪れて、いろんな援助契約をお土産にしてかえってくる。何のことはない、国際的な托鉢行脚である。この国では、王候でも一度は托鉢業をしなければならぬことになっているが、彼はいまその体験を国際的にいかしているのだともいえる。(「黄色い革命」大宅壮一著)
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バランスを取る小国の実態をうまく表現した、柔らかい表現をしているようにも思えるが、殿下にはもっときついニュアンスで伝わったのだろうか。

またひとつ歴史の謎が解けた。

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