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【日本とカンボジア】阿波丸とカンボジア

先に書いた、ベトナム航空での阿波丸表記についての投稿には、いろいろな方からのご意見をいただきました。その後、2000人を超える民間人が犠牲になった所謂阿波丸事件にもカンボジアとの関連があったことがわかったので、こちらでご紹介します。

この写真は、太平洋戦争末期に阿波丸の船上で撮影されたものです。写っているのは北京大使館からプノンペン領事館に転勤で、サイゴンまで乗船していた外交官の三宅一郎さんです。

1945年の2月17日に門司を出航した阿波丸は、南方地域で日本の捕虜になっている連合国兵士への支援物資を満載しており、その安全が保障されていました。実際に九州を離れてすぐに、敵の潜水艦が現れたそうですが、白十字の旗を確認して立ち去りました。その後、台湾の高雄沖に停泊しますが、赤色の船腹を斜めに突き出して沈んでいる船が複数あり、長い桟橋に沿ってある倉庫は空襲で燃えていました。船上では夜は煌々と灯りをともし、船上でビールを飲むなど、そこには別世界の感があったそうです。

この写真は、香港を過ぎ南シナ海上で撮影されたものです。マカオの福井副領事が暗殺され、その遺骨を受け取るために、外務省の儀典課職員が乗船していましたが、三宅さんも、その受領式に同席したため、モーニングを持参していたようです。サイゴンで下船した三宅さんは、プノンペン着任前に、しばらくサイゴンに滞在していたようですが、4月1日の夜に台湾海峡で、阿波丸が撃沈されたのを知ります。シンガポール、ジャカルタと救援物資を送り、日本への帰路途中の事件でした。福井副領事の遺骨と、受け取りに行った儀典課職員も、今なお阿波丸とともにあります。

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