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「Fate/stay night heaven's feel Ⅱ lost butterfly」感想(序)

 巷で『ジョーカー』という映画が流行っているようだ。聞く所によれば貧困や障害、差別、中々重苦しいテーマを基盤に物語が進行するそうで、このような映画が流行するのもつくづく時代の流れだなと痛感する。

 さて、そんな中僕は一周遅れのアニメ映画を鑑賞した。「Fate/stay night heaven's feel Ⅱ lost butterfly」だ。映画そのものは今年1月に上映されたものだが、その時は事情があって鑑賞できず、レンタルが開始されてから、ようやく観ることができた。 オタク界ではメジャー中のメジャーコンテンツゆえ、僕如きがいちいち説明するのも憚られるのだが、アニメとか全く観ない非オタクの友人界隈にもこのブログは見せたいので、一応触りだけ説明する。

 「Fate/stay night」は元々2004年に発表されたビジュアルノベルと呼ばれるジャンルのゲームだ。冬木市という架空の都市を舞台に、7人の魔術師(マスター)は7騎の使い魔(サーヴァント)と契約し、聖杯を巡る抗争「聖杯戦争」に臨む。聖杯を手にできるのはただ一組、ゆえに彼らは最後の一組となるまで互いに殺し合う(wiki参照)。

 物語は大まかに3つのルートが用意されており、各ルートをクリアすればその次のルートに進むことができる、というものらしい。
 このゲームが大ヒットしたことにより、数回に渡りアニメ化がされている。第1のルート「Fate」は2006年のTVアニメ。第2のルート「Unlimited Blade Works」は2010年劇場版及び2014〜2015年のTVアニメ。そして第3のルート「Heaven's feel」が3部作の劇場版として、現在制作が進められている。今回僕が観たのはこの最後の第3ルート第二章である。
 ちなみに「「Fate/stay night 」は前日譚の「Fate/Zero」があり、こちらも小説や2011年のTVアニメでヒットしている。「Fate/stay night」の世界観を舞台にした「Fate」シリーズは現在様々な媒体でシリーズ化されており、オタク界の中でも壮大な一ジャンルを築いている。

 といったところだろうか。そもそも僕はFateシリーズはさしてハマりもせずにこれまで過ごしてきたので、何というか、改めて話そうとすると気後れする(笑)。基本TVアニメのみ鑑賞済みで原作のゲームをやっていないのはもちろん(今日購入した)、今流行りの「Fate/Grand Order」ですらやっていないにわか中のにわかなので、具体的な世界設定とか間違った話をするかもしれないが、そこは大目に見てほしい。より具体的にはこちらの記事を参考に

 そんなにわかな僕だが、今回の「Heaven's feel(HF)第二章」はしばらく言葉にならないほどの衝撃だった。当日眠れなかったのはもちろん、鑑賞して1〜2周間ほどはHFのことで頭がぐちゃぐちゃになり他のことに手がつかないくらいだった。数年前に「聲の形」というアニメ映画を観たが、おそらくそれに匹敵するくらいの没入具合だ。

 HFは根本的なところでこれまでの2つのルートとは方向性が違う。それは「持たざる者」の物語だったことだ。
 「Fate/stay night」は魔術師が神話や歴史上の英雄を召喚し、戦わせるという世界観のため、一人ひとりのキャラクターは特殊な強い力を持っていることが前提だ。選ばれた英雄達にしか持てない孤独や葛藤、歪みを描き、それをどう乗り越えていくか、それが前2ルートやZEROの魅力となって描かれている。しかし、HFは違う。英雄やエリートたちの戦いの中で埋没してきた力を持てなかった者、力を剥奪されてきた者にフォーカスをあて、彼らの嫉妬や劣等感、刹那的などす黒い感情に思いっきり向き合わされた。彼らの叫びを聞かされるたびに自分の胸を抉られるような気分になり、気持ちが悪くてもこの感情から抜け出せない、そういう数週間である。

 さらに、今作の黒さを決定的にしているのは、具体的な性暴力を背景に描かれていることだ(”性描写”ではない)。映画の終盤、メインヒロインである間桐桜は、義兄である間桐慎二にレイプされ、それが発端で桜が持っていた人間を喰らい尽くす膨大な魔力が発動して第二章は終了する。
 いや、この書き方は正確ではない。桜は幼少期に間桐家に養子に入りながら、陵辱といっていい魔術的な人体改造を繰り返され、その上慎二からも以前から性的暴行を受けてきたことを仄めかす描写がある。
 ストーリーが進むにつれ、無意識に人間を捕食する桜の魔力は増大していくが、それは桜が人生のほとんどを暴力に晒され続けられてきたことの結果だった。主人公の衛宮士郎はしばらく前から桜との密接な付き合いがあるが、表向き静かで可憐で、日常生活の拠り所でもあった桜という少女の、人を喰らうおぞましい魔力の力や暗い過去に直面される。彼女と向き合うためにも、徐々に自分の信念を揺るがす決断を迫られていく。HF第二章は情報量が多く、どの場面も印象的だが、信念だけで生きてきた士郎と、人生に絶望しきった桜の関係性こそがこの作品の一番の焦点だろう。

 エヴァンゲリオンはもちろん、数年前に流行った魔法少女まどか☆マギカもそうだが、人間のダークな側面を描く作品、いわゆるダークファンタジーは、アニメ界隈ではヒットする傾向がある。僕もそうした作品群に影響を受け、人生の肥やしにしてきた側面はあると思うが、今回のHFに関しては、こと人間の「業」を描くということでは郡を抜いていると思う。クリエイターの全精力を使った美麗な作画やキャラクターの動き、声優陣の迫真の演技や梶浦音楽の耽美的世界観、緩急の演出の妙など、基本的な映画としてのクオリティーが極めて高い今作だが、それも核となるのは”間桐桜”という一人の少女を描ききること、そこに対する膨大な熱量にまず圧倒される。エヴァと比べればオタク界隈だけのムーブメントといった印象を感じるが、この作品は映画、エンターテイメントの一つのエポックメイキングではないだろうか、そんな期待を抱いてしまう。


 とまぁ、今作を知らない人に向けて説明しようと努力して書いてはいるものの、逆に説明口調となり、今一自分の感情をさらけ出せていないもどかしさを抱えている。時間はかかると思うが、次回にはこの映画を見て気づいたことを徒然なく書き連ねていこうと思う。
 
 

 

 

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