心配しているという人は本当に相手のことを心配しているのか?


"心配”と投げかけられる言葉が昔から嫌いである。
私とおばあちゃんは同居していて、顔合わせるたびにのことが"心配”だと言う。
けれど、何か私のために行動するとかではない。
一度おばあちゃんに
「そんなに心配なら、お金ちょうだいよ。」
といったらそれ以降、心配と言う言葉を出さなくなった。

あぁこの人は私のことが心配なのではなく、心配しているフリしているだけなんだとその当時は思った。

心配という言葉の裏に何か支配的な欲を感じる瞬間がある。

例えば、「ちゃんとして」とか「思い通りにしたい」などの相手の意図が感じられる瞬間がある。

だからか、その言葉を聞いた瞬間に虫唾が走る。

"心配"という言葉は便利である。その人の為に行動するとか、お金を出したくないけど、自分の存在を示している便利な言葉に感じ取れてします。

中には本当に心配して声かけてくれる人もいる。

ただ、この言葉をかけてくる人には、どんな意図があって発したのかちょっと考えてしまう。

本当に心配なら、言葉より行動をみたりしたりすることが大事だと私は思う。

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