平成終末期高校生の妄言
どうも、青春という言葉に囚われし化け物です。
絶対に俺が青春兵器No. 1だ。
そんな事を平然と言い切ってしまうくらいには囚われている。
歳がバレそうだからあんまり言わない方がいいんだろうけど、平成最後の夏って言葉を皆さん覚えてますか??
あの薄っぺらい熱に浮かされたアホの一人が僕です。当時高校生だった僕はこの言葉にココロオドってました。
え、平成の締めくくりを俺たちが担っていいんスカ?と言わんばかりのアホ面で。
マジでアホ。暇さえあれば「彼女欲しい」とぼやいてた。
挙げ句の果てには何人かの友達に「彼女欲しいキャラが欲しいだけだろ」って見透かされてた。
それくらいにはアホに対して躊躇がなかった。
アホじゃなきゃ平成という時代の高校生を楽しめないと思ってた。
平成の全盛期って自分の一回り上の世代なのにね。
イケパラやらごくせんやらプロポーズ大作戦やら花より男子やら山田太郎物語やらヤンメガやら…学園ドラマの全盛期でもあった。
モンパチの小さな恋のうたを文化祭でやったり、RIP SLYMEの熱帯夜で動画撮ったり、カラオケではORANGE RANGEのイケナイ太陽やらロコローションやらを歌って、Aqua Timezで勇気づけられて、ココロオドルアンコール沸かすダンスダンスダンスしてたであろうあの時期の高校生が本当に羨ましい。
多分平成全盛期に高校生を迎えていたら上記のはもちろん、ちょっとだけ斜に構えて銀杏BOYZの援助交際やナンバガの透明少女とかをシャウトして、サンボマスターで泣いてる夜があったかもしれないし、スケダンを高校生の時にリアタイしてピロウズのfunny bunnyを聞いて勉強に励んでたと思う。
アジカンやBUMPやRADは多分軽音部の女の子にモテたくて聴き始めるはず。てか絶対そうしてた。
実際に憧れてたから大体のことはやっても、二番煎じ感は否めないというかリメイク感すごかったよって、憧れは理解から最も遠い感情だよって俺の中の藍染が黒棺放ってくる。
良いよね、平成男子高校生の概念って。
バカみてえにデッケエアメピンを茶髪頭に付けてサイド編み込みなんてしちゃって腰パンとミサンガはマスト。
そんでもって他校の彼女が使ってるスクールバックに、デカリプトンとウォークマン。
そして放課後はプリクラ撮ってファミレスでドリンクバーだけ頼んで駄弁って解散。
別に今この令和の時代にだって出来ることだけどそうじゃないんだよな。作り物でしかないもんな。
最近流行りの昭和レトロもそう。作り物ばっか。
こちとら幼少期におばあちゃんが連れて行ってくれた喫茶店(大阪にあるカナリアってとこ)で出てきたクソデカパフェに衝撃を受けて喫茶店が大好きになって将来の夢は喫茶店のマスターとか思い描いてたのにさ、俺に似た顔した薄っぺらい奴らが侵食してきたせいで俺まで迷惑被ってる。
作り物の紛い物に興味はないんだよね。
まぁ人のこと言えないんだけど、よく棚に上げて言ったなって感じするけどね。
高校時代を思い返してみれば色んな行事にでしゃばってたし。囚われてたから。
それでも文化祭のステージで演奏するっていう一生物の青春できなかったなって。
あと放送部もしくは放送委員会に入るっていう青春も。
小学校の頃は放送委員会だったんだけど、お昼の放送でリクエスト曲流したり自分が話したりすんの楽しかった記憶がある。
高校はスタートダッシュ失敗したから入る気になれなかったし、高2からでもいいから入れば良かったな。
でも文化祭実行委員会出来たからそれはヨシ。しかも俺は大学入ってから始めた塾のバイト一緒の同級生みたいなしゃがれた良い声持ってないから向いてなかったと思う。
あーーー、そうは言いつつも好きな曲流して放送室で弁当食いたかった。エアギターとかして乗りたかった。
思い返すと割とやり残したことがあった。
でも、俺が将来教員になったとして、放送委員会の顧問になろうと、軽音部の顧問になろうと、文化祭実行委員会の顧問になろうと、出しゃばるべきじゃないんだよね。
主役は現役の高校生なんだから。
めちゃくちゃ羨ましい。やりたい事出来るって。
だから俺は「たられば」で楽しんでる。
「文化祭で歌ってた世界線」っていうプレイリストを作って平成を彩った青春パンクばっか入れてる。
モンパチとかサンボマスターとか銀杏とか。
大学生がサンボマスターの曲を文化祭でやった動画とか本当に好きなんだよね。
そうそうこれこれ!!ってなる。
誰かを歌で救えたら良いなって曖昧で不確かなものに縋ってそれをバカにされてもバカみたいに熱くなって伝えようとするってのは俺には出来ないから本当に羨ましい。
他にも前に教員たちがモンパチの小さな恋のうたをやってたりした動画を見たことがあって、太っちょの社会科の先生がボーカルで、体育教師がギターでブルーハーツのマーシー絶対意識してんじゃんって格好してて、ベースが音楽の先生で上手さが安定し過ぎて逆にエロカッコいい最高の動画だった。
もし許されるのであれば俺もこういうことがしてみたい。でも自ら望むことはしない。
90年代から2000年代が一番青春って感じがするなー。
それで歌えるのであれば歌いたいのはやっぱりピロウズのファニーバニー。
あとは、モンパチ 、サンボマスター、銀杏、BUMP、RAD、アジカン、神聖かまってちゃん、ORANGE RANGE、ブルーハーツ…ダメだ止まらない。
…なんか、スタンスが中途半端なことが分かる人選してるわ。
いわゆる陽キャにも陰キャにも成りきれてない。
飲んだくれて、バイトして、たまにどっか遠出して…過去のたらればや憧ればかりを口にして。
なんか、本当に面白みが一切ない普遍的な人間をしてて悲しくなる。
やっぱり俺は特別な人間ではないと改めて思い知らされた気分。
いつも自分で自分は普通の人間だと言ってきたけど、どこか特別な人間だったらなと憧れている節はある。
ですが、はい、毎度のことですが「憧れは理解から最も遠い感情」なんですね。
なりたいと思ってるうちはなれない。
当たり前だろと思うかもだけど、なりたいと思うだけで、なるための努力まで計画しないとダメ。
僕は昔から部活でも言われてきました。
「ビジョンがない」と。
そう、計画性とはかけ離れた人間。
ただ、憧れを口にして、世の中に不満を抱き、文字に起こして愚痴を言う。
つまらない底辺の人間。
いや、底辺にすらなりきれてないのかも。
ちょっと変なことを言うと、底辺にすら少しの憧れがある。
振り切っているし、まぁ漫画の影響なんでしょうが、底辺には底辺なりの闘い方や考え方があって、その何処か捻くれて、歪んでいて、斜に構えたスタンスは嫌いじゃない。
めだかボックスの球磨川とかであったり、俺ガイルの比企ヶ谷だったり、そういうアニ豚インキャ思考と言われてしまえばそれまでだけど、底辺と自称する奴らの生き方は嫌いじゃない。
でも、大抵漫画やアニメの世界で底辺と自称する奴らは何かしら傲慢な考えを持っていたり、力を持ってる。
現実で底辺を自称する奴らは、ただ力がなく、本当の底辺を他に見つけて見下して、酔いしれてるしょうもない人間ばかり。成り下がりきれない、成り下がれもしない中堅下位。
これまでの僕みたいな人間。
這い上がる努力すらせず、下に振り切る勇気もなく、持ち合わせた才能もない。
恐ろしく普遍的で面白みのない人間。
就職活動でエントリーシートを書くときに自己アピールが出来ない人間。
機械のように動くことしかできない自分が本当に情けない。
それだけならまだマシ。
憧れがズレて皮肉や愚痴をこぼして他人を害する時もある気がしてより情けないと思い知る。
こういう場面で、ある人のある言葉を思い出す。
これはさっきの「憧れは理解から最も遠い感情」と言った藍染惣右介を生み出した久保帯人先生の言葉。
この高火力の言葉、最初は笑ってたけど、最近はちょっと自分に向けられている気がして刺さり始めた。それすらおこがましいのかもしれないけど。
そして、何よりこの言葉を聞いて「刺さるわー」と言って何もしない自分に嫌気がさす。
行動に移せる人間は評価されるって言うけど、厳密には行動に移さない限り評価という土台にすら上がれないというのが正しいと思ってる。
だって不平不満ばかりを並べる奴の言葉にわざわざ耳を傾けるほど人は暇ではないから。
そんな奴らに付き合う道理はねえ。
だからこそ、しっかりと自分の望む結果を想定して、どうすればそこまで辿り着けるかという道筋を作り上げ、その道筋をしっかりと歩いていかなきゃって思うようになったかな。
でも、まだ思っているだけ、だからまずは口にすることから始めようと思う。
僕にとって何よりの教科書である週刊少年ジャンプはこう言っている。
「夢は口に出すと強い」
今思えばこれは確かにそう。
さっきも言ったけど「青春」という言葉に囚われていた高校の頃の僕は暇さえあれば「彼女がほしい」とほざいてた。
そして、彼女を作るために努力をして、自分で言うのもなんですがそれなりに結果も残してた。
行動という努力にちゃんと結果が伴ってた。
最近は本当に忙しいしお金も心の余裕もない二十代という今、将来のことを考える大切な時期でもあるけど、ビビって何もできなくて、それを振り返って「あぁしてれば良かった」なんて情けないことは言いたくない。
まぁ、どう頑張っても後悔は残るものなんだけどさ、少ないにこしたことはない。
というか、高校生の頃だって、将来について考える大事な時期だったけど、「青春」に身を捧げたんだし。
少しの後悔のようなものはあるけど、でも自信を持って「楽しかった」とは言い張れる。
中には両立できる才能を持った人もいたかもしれないけど、僕にはなかった。
だったら僕は僕らしく、道をそれない程度にこれから楽しいことをいっぱい経験しようと思う。いや、します。
大学を卒業した時に、良かったと思える人生を歩みます。
そして、こんな場面に適した個人的に好きな言葉が。
これは『スケットダンス』の安形というキャラが卒業式の時に話した内容の一部。
特にこの「使った時間に責任を持て」という言葉は意識して生きていく。
時には過去を振り返ることも大切だけど、後悔に時間を割いてる暇はない。
ほんの少しの反省とそれ活かした努力。
僕はあんまりトライアンドエラーという言葉は好きじゃないけど、好きじゃなくても、大切さは分かっているつもり。
自分は完璧な人間なんかじゃないんだから、失敗しても、しゃあねえしゃあねえ、出来る限り失敗しないようにしたら、反省点は少なくなるし、その残った反省は次に活かせばいいし、仮に残ってしまった後悔はいつか笑い話にしてやる気概で生きていく。
むしろ、完璧ってなんかつまんないし。
ある意味面白みがない。
元々面白みのない人間が種類の違う面白みのない人間になるなんて愚の骨頂。
僕の大好きなマユリ様もこう言っているので、二十代の間になるべく色んなものに挑戦する!
具体的には今まで食わず嫌いしていたものに少し触れてみる、友達の誘いはなるべく付き合う、とかかな。
以上、実態も知らねえくせに訳もなく楽しそうな平成全盛期の高校生に思いを馳せて隅っこにいるただの紛い物の戯言でしたーーー。
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