「むかし試した古典技法の話」Vol.1 by K


みなさんこんにちは。カロワークスのKです。

vol.0は、筆者が過去に制作をしていた、写真の古典技法である「ドライコロジオンプロセス」について、そしてそのプロセスに行き着くための、写真黎明期の歴史をゆるくお話する…という導入でした。

そもそも写真の古典技法とはどのような技術を指すのでしょうか。
現在では一般として実用的ではない過去の技術、と言えるでしょう。
普段の日常生活では、フィルム以前の写真技術に出会うことは無いと思われますが…
このnoteで、古典的な芸術に触れてみるのも面白いのでは〜と思っております。


さて、今回は少しお勉強のような話になりますが、写真の黎明期にまつわるお話を書かせて頂きます。
「写真の発明」について、みなさまはご存知でしょうか。

現代でいう写真の構造の根源となる
「目の前にある景色を平面に投影する」という機構は、16世紀にはすでに確立されており、
投影された図を画家が模写するための機器「カメラ・オブスクラ」が発明されています。


画像1

『カメラ・オブスクラを使用する図』 作者不明【画像:Wikipediaより引用】

画家たちはこの投影された光をペンでなぞることで景色の模写をしました。
しかし、上手くなぞれる人は良かったのですが、
どうしても上手く線が引けず、思うように描くことができずに悩む人もいました。絵が得手ではなかったのでしょう。
絵が下手でも、どうにかして景色を模写……平面のまま止めることはできないだろうか。
その考えが写真発明の大きなきっかけとなり、写真に至る技術開発の原動力となります。

「出来ないことを出来るようになりたい」という気持ちは今も昔も変わりなく、大切な欲求であることを忘れてはならないことを実感します。
これ以降、”投影された光をそのまま画として留める方法”を2世紀に渡り模索していくことになります。


数多の発明家たちが、写真術に通じる発明や実験を盛んに行った時期なので
単純に一つの技法を”決定的な写真発明”として括ることは難しくありますが、代表的な技法を挙げますと、

1825年に発明家のジョセフ・ニセフォール・ニエプスが
光で硬化するアスファルトの一種を用いて、窓から見える外の景色を画として固定することに成功しました。

1835年、イギリスの科学者ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットが
紙をネガにする方法で、写真の黎明期の技法に於いて基本的な材料となる硝酸銀を用いて画像を得ることに成功しました。
この後に改良され、ギリシャ語で「美しい」という意味の「カロス」から、
カロタイプと名付けられます。
(ちなみに弊社カロワークスの社名は、このカロタイプから由来します。)

そして1839年には、フランスの興行師であり写真家のルイ・ジャック・マンデ・ダゲールと、ニエプスの共同発明による銀板写真・ダゲレオタイプが発表されます。
この発明・発表は写真界にとって一つの大きな起点となります。

画像3

『Boulevard du Temple』L.J.M.ダゲール【画像:Wikipediaより引用】

今までに無い精緻な描写で景色を封じ込めたその銀板写真に、当時の人々は大いに盛り上がり、熱狂したと言います。
(タルボットの方が早い段階で写真としての技術を確立していましたが、特許取得がダゲールの方が早かったために…ダゲレオタイプが最初の写真発明、とされることが主流となります。)

これより写真は画像の情報のみならず、
豊かな”もの”としての側面を持ちながら、長らく表現が行われていくことになります・・・

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写真黎明期当時の人たちにとって、写真というものはどのような存在だったのだろう…と考えることが
学生時代に非常に興味深かったことを覚えています。
目に見えている景色を、絵ではない形で留めておくことができる。
我々にとって当たり前のことですが、初めて触れたその感動や衝撃は、当時の人々にとって如何様だったかと想いを馳せると大変にロマンがあります。

当時の人々には、それこそ魔術のようにも見えたであろう「写真」という存在は、
人類の営みのなかで科学、化学、歴史、芸術、経済、様々な分野を取り込みながら、それらに大きな影響を与えました。
今を視覚的に記録できるという概念が生まれたことは、決して止めることのできない時間の流れに対するささやかな抵抗の現れで、
それを追い求めるのは必然であり、人間の性が実によく現れた媒体でもあるのではないでしょうか。

先述した銀板写真は、作業の上で”銀メッキした銅板に、ヨウ素蒸気を当てる”という工程が必要です。
その上撮影(露光)には日中でも10分以上を要しました。
聞いただけでも大変そうですよね。
実際に撮影は大掛かりになり、現像は危険で難しい作業です。
ダゲレオタイプのみならず、黎明期の技術には非常に時間と手間がかかりました。
そして人々は思うのです

「もっと簡便に、手軽に、写真を撮ることはできないか」と。

ダゲレオタイプの衝撃的な発表に、発明家や研究者たちはより優れた発明を成そうと切磋琢磨します。
「光を画として固定する」という目標に対して、それに至る道筋は決して一つではありません。その可能性の多さが故に、様々な方法で、より鮮明に、より簡便に、スピーディに画を残す技術が模索されていきます。

次回は、写真発明時期の次のステップである「ウェットコロジオン」のお話と、
そこから派生するドライコロジオンのお話に入りたいと思います。
個人的な制作の話も、また次回から書いていけたらいいな、というところで
次回もよろしくおねがいいたします。


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