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1年前のわたしを抱きしめてあげたい

■2023年3月22日の日記

今からちょうど1年前の今日。
2022年3月22日は、東京はみぞれ雪が降る寒い日だったみたいです。
そんなこととっくに忘れていたけれど。なぜ思い出せたかと言うと、去年から使い始めている「3年日記」の今日の上の段、つまり去年の今日のところにそう書いてあったから。

3年日記の今2年目なんだけれど、これはなかなか便利な日記である。

そんな寒い春の日に、私は有明の病院でとある宣告を受けていた。


まさかの、直腸がん肺転移ふたたび・・・


とても元気で、元気すぎるくらい元気で楽しく過ごしていたのに。
3ヶ月おきのCT検査で、右肺の中葉に転移らしき影が見えたと主治医に言われたのだ。

その日は、放射線治療後の経過観察の最後の診察の日でもあり、
優しい優しい放射線の主治医のところにも顔を出したのだった。
そこで私は図らずも涙してしまったようだ。(と、日記に書いてある)

病院で泣いたことなどないのに。
大腸外科の主治医の前では一度も泣いたことなどないのに。
放射線の先生の顔を見たら、なぜか泣いてしまったのだ。きっとね、転移を聞いた私に、すごく優しい言葉をかけてくれたんだよね・・・
やっぱり私、肺転移ふたたびは、重く受け止めていたんだね。

その日の日記には、慌しかった病院での検査のこと、肺の先生と再会して手術日を決めたこと(2019年夏の最初の肺転移の時にお世話になり、もう僕のところには来ないでねって言ってた先生だ)、子どもたちに夫から伝えたこと、

そしてその夜は何度も
「もういいよ」って口にしてたことが綴られていた。(ザ・自暴自棄モード)

がんになって4年目の私ですら、2度目の肺転移は、受け止めきれない重いものであったのだな。
辛かったね、一年前のわたし。
今の私が飛んでいって抱きしめてあげたいと思った。

人の1年後のことなんて、本当にわからないものだなとも思った。
当時、1年後の自分が、その時とは全然ちがう心境になっているとは、想像も出来なかったな。

2023年3月22日の現在の私は、肺転移くらいではもう泣かない私になっている。
なぜなら直近の2月に、3度目の肺転移を経験し、手術を受けている。繰り返す肺転移と、繰り返す手術に、もう慣れざるを得ない状態になっている。
なんなら、先月の手術も、結構遠い記憶になりつつある。私のなかの、単なる通過点な感覚になっている。がん患者としての、ある意味、日常である。

がんのことで次に泣くのはいつだろうな、なんて思いつつ。
先のことはわからないんだから、まさに、ケセラセラ。なるようになるしか、ないんだな。

今日もありがたく生きられて、感謝です。

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