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4月1日 今日は人生最幸の日

おはようございます!

日常生活で、人々がおおむね正直なことを言うのはなぜか
神様が嘘をつくことを禁じたからではない
それは第一に、嘘をつかないほうが気楽だからである

#ニーチェ

4月1日

今日は『エイプリルフール』

罪のない嘘をついて良いとされる日。
日本では「四月馬鹿」とも呼ばれる。

もんちは男前です👍🏻👍🏻👍🏻

今日のお誕生日

三船敏郎さん、塩沢ときさん、林真理子さん、高橋克実さん、相原勇さん、鷲尾いさ子さん、竹内結子さんなどなど

もんち的には、KKコンビの桑田真澄さんの誕生日

本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️

桑田真澄

大阪出身。

小学生の頃はソフトボール。
中学生では軟式野球をしていた。
中学生で既に140kmのボールを投げていたらしく、有名だった。

高校でPL学園に入り清原和博と出会う。

入学後、実力を認められずにいたが、臨時投手コーチに目をつけられ特訓を受ける。

その後、試合前まで弁当配りやバット運びをしていた1年生桑田の公式戦先発デビューが急遽、決まる。

試合前は味方チームにもかかわらず上級生は桑田を一人にし、「ああ、もう負けや、三年間の高校野球は終わった」とか、「お前がおるからあかんのや」と桑田を苛めた。

この試合、清原が公式戦初本塁打で桑田を援護、桑田は相手打線を散発2安打に抑え、完封する。結果で上級生を黙らせた桑田(そして清原)の快進撃がそこから始まる。

KKコンビとは、PL学園高等学校に1983年から1986年まで在籍し春・夏の甲子園で主力として活躍した桑田真澄・清原和博の2人を指す通称。
由来は2人の名前の頭文字をとったもの。

高校野球激戦区の大阪から甲子園に出場可能な5回全てに出場。
そのうち4度決勝に進出し1年夏と3年夏の2回優勝という記録を清原とともに打ち立てる。

1985年のプロ野球ドラフト会議で巨人から1位指名を受け入団。

1988年には、球団史上最年少の20歳0カ月で開幕投手に抜擢された。

1994年シーズンは、14勝11敗、防御率2.52、奪三振185の成績を挙げ、最多奪三振のタイトルを獲得。
シーズンを通しての活躍でセ・リーグ最優秀選手 (MVP) に選出される。

2007年シーズンよりメジャーリーグに挑戦することを表明、結局『引退試合』は『お別れ会』としてファン感謝デーで行われることとなった。

イベントの最後に「18番 桑田真澄の野球は、心の野球です。今はただ感謝の気持ちしかありません。(略)…さようなら、そして21年間本当にありがとうございました」と挨拶し、21年間在籍した巨人に別れを告げた。

2006年、ピッツバーグ・パイレーツとマイナー契約を結ぶことが発表された。
日本人のパイレーツとの契約は、マイナーを含め第1号となった。

2007年、メジャーに昇格。

引退後は野球解説者・評論家やタレントとして活動。

いつかKKコンビのキャッチボールをまた見たいと思ってます。

本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように~😍

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