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10月7日 今日は人生最幸の日

おはようございます!

名誉を失っても
もともとなかったと思えば生きていける
財産を失ってもまたつくればよい
しかし勇気を失ったら
生きている値打ちがない

#ゲーテ

今日は、『ミステリー記念日』

1849年のこの日、ミステリー小説の先駆者・エドガー・アラン・ポーが亡くなった

本日のお誕生日

ピストン堀口さん、室田日出男さん、坂田利夫さん、氷室京介さん、青田典子さん、生田斗真さんなどなど

もんち的には、アホの坂田利夫さんのお誕生日

坂田利夫

本名、地神俊夫

1941年大阪府大阪市港区に生まれる。

1961年高校卒業後職を転々とした後に吉本新喜劇の研究生として吉本入り。

なお、吉本入りする直前に勤めていた所は大阪ガスの関連会社だったらしい。

1967年前田邦弘(前田五郎)と漫才コンビ、コメディNo.1を結成。

1970年上方漫才大賞の新人賞受賞。

1972年第1回上方お笑い大賞(読売テレビ)金賞受賞

1972年8月レコード『アホの坂田』発売。

その曲がヒットした際、大阪の教育委員会から「サカタ姓の小中学生がからかわれたり、いじめに遭っている」との指摘を受け、放送局は一時この曲の演奏を自粛したり、レコード店もレコードの販売を一時見合わせる事態になり、坂田自身も言われのないバッシングを受けた。

また、選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも内定していたらしいが、これらの事情により取り消しになったとの説もある。

代わりに選ばれたのが水前寺清子の『365歩のマーチ』だった。

妹の結婚式で「ふつつかな妹ですが」と言うべき所を「ふしだらな妹ですが」と言ってしまった。

ハイヒールモモコのスッピンは、坂田にそっくりである。『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)で「モモコさんのスッピンが坂田さんに似ていると言いますが、逆に坂田さんが化粧したらモモコさんに似ていますか?」という依頼があり、実際に坂田に化粧をしてモモコと並べたことがある。

西川きよし・ヘレン夫妻とは、仲が良いことで有名。芸人として食べられなかった頃、坂田ときよしは、吉本新喜劇でマドンナとして活動していたヘレンに養ってもらっていた。

間寛平とも仲が良く、寛平の子供達は、坂田利夫の事をパパと呼んでいた。
昔、一緒に住んでいたこともある。

吉本興業の中でも芸歴は長い女性経験が無く童貞であることを関西ローカル番組にて間寛平が暴露しており、ここから「実はチェリーでんねん!」というギャグが生まれた。

60代を過ぎても未婚である理由は本人曰く「結婚出来ないのではなく、結婚しない」から。理由は、子供が出来た時に「アホの子」と指を差され負担になるのではないか心配だからである。

いつまでも元気で、アホをやってて欲しいですね。

本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍

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#坂田利夫
#10月7日

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