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3月15日 今日は人生最幸の日

おはようございます!


何の志も無きところに、ぐずぐずして日を送るは、実に大馬鹿者なり


#坂本龍馬


3月15日


今日は、『靴の記念日』


1870年のこの日、西村勝三が日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場」を開設した


本日のお誕生日


肥後克広さん、武豊さん、山本KID徳郁さん、喜矢武豊さん、北乃きいさん、有安杏果さんなどなど


もんち的には、神の子の山本KID徳郁さんのお誕生日


本日お誕生日の方々、おめでとうございます
㊗️㊗️㊗️㊗️㊗️


山本KID徳郁


岡部 徳郁(旧姓:山本)


幼い頃よりレスリング(フリースタイル)で活動。
高校時代は単身でアメリカにレスリング修行、アリゾナ州の王者に3度輝いた。


大学では日本に帰国、全日本学生レスリング選手権大会優勝(フリースタイル58kg級)など数多くの実績を残した。
シドニーオリンピック出場を目指していたが、1999年の全日本レスリング選手権大会(同級)で惜しくも準優勝。


オリンピック出場への道が絶望的になったのと同時期に姉・美憂の夫(当時)であるエンセン井上に師事して総合格闘技に転向。


2000年7月、愛知で行われたアマ修斗ワンマッチにて2RKO勝ちでアマデビュー。
同年9月第7回全日本アマチュア修斗選手権大会ライト級(-63kg)で優勝。
翌2001年にプロデビューし修斗で世界ライト級ランク2位まで登り詰めた。


2002年、プロフェッショナル修斗公式戦で勝田哲夫と対戦。
試合前に勝田がKIDに対して「彼はレスリングの実績があるけど、総合におけるレスリングってものを俺が教えてあげますよ」と挑発したことに対してKIDは不快感を露にしていた。


試合ではKIDがパウンドの連打で勝田をKOしたが、レフェリーストップがかかったにもかかわらずレフェリーの制止を無視して舌を出して笑顔で勝田を殴り続けたため120日間のライセンス停止処分を受けた。


2004年2月24日、K-1初参戦となった「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」1回戦で村浜武洋と対戦。
村浜を相手にK-1ルール初挑戦ながら圧倒的なスピードとパンチ力を発揮、ノーガードで村浜のパンチを避け、ダウンを奪った後も追撃する2RKO勝利。


リング上からマイクで魔裟斗に対戦を要求。
魔裟斗もこれを受け、2004年12月31日のK-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で対戦。
1Rに魔裟斗からダウンを奪った直後、金的を貰いダウン。


リプレイが流れた会場では悲鳴が上がるほどのダメージを受け、実況席からも続行は無理と言われる程であった。


また、完全に視線が下にいっている魔裟斗のリプレイ映像を見て解説の船木誠勝が故意であることを匂わせる発言をした。
インターバルの後に試合は再開されたものの、精彩を欠いたKIDは2Rにダウンを取り返され、判定負け。


2005年5月4日、K-1 WORLD MAX 2005のスーパーファイトにてK-1ルールで出場。
しかしマイク・ザンビディスと対戦し、右フックでキャリア初のKO負けを喫した。


2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!にてトーナメント決勝戦を須藤元気と対戦し、右フックのダウンからパウンドの連打で1RKO勝ちを収めトーナメント優勝を果たし、キャリア初のベルト戴冠となった。


2006年、HERO'Sで宮田和幸と対戦し、開始4秒の左跳び膝蹴り一発で失神KO勝ち。
この膝蹴りで宮田は下顎骨を骨折する重傷を負った。試合後のマイクでは「ヤバイ、かっこ良すぎる、俺」と自画自賛した。


2009年7月13日、約4年2か月ぶりのK-1参戦となったK-1 WORLD MAX 2009 FINAL8でチョン・ジェヒと対戦し、1Rに先に有効打をヒットさせて追撃したところを右アッパー、左フックの連打を受け失神KO負け。


2015年、ロサンゼルスで開催されたUFC 184において、ローマン・サラザールと対戦。
UFC 144以来実に3年ぶりの復帰戦となったが、しかし2RにKIDの右手指がサラザールの目に入ったことで試合が一時中断。
インターバル中もサラザールの視力が回復せず、試合は無効試合となった。これが生涯最後の公式戦となった。


2018年、自身のInstagramにてがんの闘病中であることを公表した。
公表時にはがんの種類までは触れられていなかったが、のちに胃がんを起因とするがんの全身転移だったこと明かされている。


2018年9月18日、所属ジムの公式ツイッターにより同日、41歳で死去したことが発表された。
最期は療養先のホスピスがあるグアムで在宅ターミナルケアを選択し、ホスピスを出てグアム内に契約したマンションにて家族と余生を過ごした末に多臓器不全により息を引き取ったことが姉の美憂から語られている。


あの当時の格闘技界を盛り上げてくれたのは間違いない。


余裕で勝利しているイメージしかないくらい強かったですね。



本日が皆様にとって、人生最幸の一日になりますように😍


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