働くとは生き様で、ここに確かに陰陽はあると感じた話
先日、1泊2日で福岡を訪れた。
初日はHiHiJetsのアリーナツアー「BINGO」に参戦し、2日目は糸島のとあるコーヒーショップへ。
この旅で感じた「働く」ということについてのあれこれを、備忘録として記す。
ライブにて
ここでは“陽”の働きについて思い巡らせた。
はじめて生で見る彼らのパフォーマンスに、猛烈な悔しさを感じた。
同じ年に生まれたはずなのに、同じだけ生きてきたはずなのに、あまりの人生の差に鋭い痛みを感じた。
地獄から天国を見上げているような、そんな気持ちだった。
かたや、スポットライトの当たらない暗い場所で光を灯して必死に腕を振り、かたや、スポットライトの当たる明るい場所で暗い奈落に向かって手を振ると、視線の先にいる者が膝から崩れ落ちる。
なんなんだ、この差は。
彼らが幼少期から、様々なことを犠牲にして、血の滲むような努力研鑽を積んできたことは分かっている。
ただ、私にはそのチャンスさえ与えられなかったわけだ。
地方で女として生まれ、周りに陽の当たる場所へと導いてくれる大人もいなかった。
冷静に考えれば生まれた時から、何もかも違うし、絶対に公平ではない。
でも生きていくというのはこういうことなのかもしれない。
これを受け入れ、自分に実現可能な働きによって広かったり狭かったりする世界を少しだけ幸せにして死んでいく。
これが人生なのかもしれない。
成功者と讃えられる人の多くは陽の人だ。
日の当たる場所で努力しなければ世は認めてくれない。
でも人には素質があり、明らかに役割がある。
どんなになりたいと願っても、皆が陽になれるわけではない。
陰陽異なる働きのもの同士を比較することは愚かであった。
私には私に与えられた陰の道がある。
この道を歩いていった先に彼らと交点を持つ。
そんな未来を目標に、己の役割を全うしていこう。
そう、決意した。
森とコーヒー。にて
ここでは“陰”の働きについて思い巡らせた。
前日の華やかで煌びやかな情景とは異なり、最寄りのバス停を降りると見渡す限りの緑と工場。
私の生きている世界に限りなく近い現実だった。
広島より一週間ほど開花の早いソメイヨシノが、わずかに葉桜になっていた。
道脇の桜に目がゆくほど余裕があるということが、自分の界隈だと教えてくれる。
最寄りのバス停から約30分。
目当てのコーヒーショップが現れる。
そこには人生を慈しむご夫妻がいた。
いつでも人生の拠点を変えられるよう、トレーラーハウスでお店を営み、自らの人生を謳歌するため、週の半分しか働かない。
昨今多用されるライフワークバランスと、このライフワークは似て非なるものなのだとここで知った。
ライフワークバランスとは
人生と仕事を切り分けた考え方。
ライフワークとは
人生の中の仕事として、仕事が人生の一部であるという考え方。
ご夫婦の働き方はまさにライフワーク。
自身の人生を謳歌するため、事業を大きくする意欲のない私を肯定してくれる、暖かい場所であった。
アイドルのように日の当たる人生ではないだろうが、ご自身の大切なものを大切に生きておられるご夫婦はきっと幸せだろう。
あぁ、私はこっちだな。そう感じた。
陰と陽
自分の評価で成功を決める“陰”
他人に評価を求め成功が決まる“陽”
どちらが幸せなのだろうか。
帰り道、必死に考えてはみたものの、答えは出なかった。
数日経ち、今の私の答えは“素質次第”である。
目立ちたい人が裏方の仕事が屈辱的で、目立ちたくない人が人前に立つのが辛いように。
二日間、陰陽の働きを目の当たりにして、私は圧倒的に陰であると自覚した。
狭く身近な人しか幸せにできない容量なのだと思う。
でも裏を返せば、身近な人を幸せにすることはできる。
私は私の与えられた容量の中で、精一杯与えられたチャンスを掴み生きていこう。
そう心に誓った二日間であった。
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