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彩雲

「お兄ちゃん、少し太った?」
「ああ、最近忙しくて運動出来ていなかったからな」三月末に有給休暇を利用して、実家に帰省していた僕は妹の問いかけにため息をつきながら答え、冷蔵庫から牛乳を取り出した。
「そんなんじゃ、彼女できないよ」
「うるさいな。瘦せればいいんだろう。ちょうど暇だったし、公園走ってくるよ」
「お兄ちゃんが学生のころによく練習していた公園もうすぐなくなるよ」
「えっ!?」僕は驚いて、口に含んでいた牛乳を少し噴き出した。
「もう汚いなー。都市開発だったかな。たしか複合施設が出来るんだって」
「じゃあ、桜の木はもうないのか?」
「どうだろう。私がこの前近くを通ったときは高いフェンスがあって中見えなかったけど、邪魔だから撤去されるんじゃない?」
「そうか……」僕は中学生のころ、公園で過ごしていた過去に思いを馳せた。

「お疲れ様。流石に疲れたでしょ?」アケミが、公園の外周を走り終えた僕に対して、タオルを渡しながら聞いてきた。
「まだまだ余裕だよ。中体連に向けてもっと走りこまないと」僕がそう言ってまた走りだそうとするとアケミは僕の腕を掴んで引っ張った。
「もう少し話ししよ。最近シン君いつも走ってばっかりで、全然デートって感じがしないんだ。少しだけ、ね?」僕はつぶらな瞳で訴えかけてくるアケミのお願いを断ることが出来ず、少しの時間だけと条件をつけて、桜の木の下に座り込み、二人で話すことにした。
 取り留めのない会話で和やかな気分になった僕はそろそろ練習に戻らないといけないと思い、彼女に切り出した。
「じゃあ、そろそろ練習に戻るよ」
「早くない?」
「中体連が終わったら好きなだけデートっぽい、デートするから」
「やった! じゃあ、カフェでランチでしょ、動物園でキリンも見たいし、遊園地で観覧車にも乗りたい。浜辺を散歩もいいな。浴衣で花火大会も行きたいし、それから……」
「欲張りだな。とりあえず、一つにしぼるとしたら?」
 アケミは空を見上げて、少し考え込んだあと、口を開いた。
「んー、この桜の木の下でプロポーズしてほしいかな」
「何だよ。デートじゃないじゃん。それにまだ中学生だよ」
「シン君が一つにしぼれって言うから」
「さて、練習開始しないと」僕は照れているのがバレないように急いで会話を切り上げ、また外周を走りだした。


「お兄ちゃん、ぼーっとしてどうしたの? 私の話聞いてる?」
 妹の声で僕は現実に引き戻された。
「ああ、すまない。中学生のときのことを思い出してた」
「お兄ちゃん、中体連ぼろぼろだったもんね。彼女にふられたんだっけ」
「違うよ。中体連がダメだったのは彼女とは関係ない。それにあのときの彼女はふられたんじゃなくて、彼女が県外に転校したから仕方なく別れたんだよ」
「ふーん、そうだったんだ。初めてきいたな」
「もういいだろう、じゃあ行ってくるよ」
「いってらっしゃーい」
 僕は実家に置きっぱなしにしていた中学生のころによく着ていたジャージに着替え、公園へと向かった。

 公園は妹が言ったように、高いフェンスに仕切られ、工事用の車両が出入りしていた。外周を走りながら、どこからか中に入れないか確認していたところ、南口は残っていて、まだ中に入れるようになっていた。
「まだ、桜の木あるかも」僕は一縷の望みを口に出し、公園の中に入った。
 南口から桜の木までの遊歩道は中学生のときから全く変わっていなく、懐かしかった。以前と同じ場所に桜の木は存在していた。ちょうど満開に咲いている。
「良かった。まだ残ってた」僕はしばらく桜の木を眺め物思いにふけっていたが、突然声をかけられた。
「シン君だよね?」後ろを振り返ると、つぶらな瞳で僕の目を真っ直ぐに見つめる女性が立っていた。
「アケミなのか?」僕は驚きのあまり、声が上ずった。
「うん、シン君久しぶり! 元気にしてた?」
「ああ、元気だよ。アケミはどう?」
「うーん、ぼちぼちかな。それにしても驚いたよ。見覚えのあるジャージを着た人が公園の中に入っていったから、もしかしたらと思ってついていったら、シン君がいるんだもん。ずっとそのジャージ使ってるの?」
「いや、これは実家にずっと置いていたもので、今日久しぶりに着たんだ」
「そうだったんだ。今実家には住んでないの?」
「うん、県外に就職したから住んでないよ。昨日久しぶりに帰省したところ。それで、妹からこの公園がなくなるって聞いたからここに来たんだよ」
「悲しいよね。この公園なくなるの。私もおばあちゃんに会いに昨日こっちに来て、公園なくなるって聞いたんだ。ねぇ、これまでのこともっと桜の木の下に座って話さない?」
「ああ、そうしよう」
「よかった。ランニングの途中だからって断られなくて」
「おいおい、それは中学生のころの話だろ」

 それから僕とアケミは中学生から今までどんなことがあったかを共有した。いま現在近くに住んでいることがわかったし、お互いに恋人がいないこともわかって僕は嬉しかった。
「そっか、恋人いないんだね。でも運命の再開としては弱いかな」
「何だよ。それ」僕はまた少し声が上ずった。
「私の余命が一年しかないとか、望んでいないお見合いを強制されて逃げ出してきたとか、ドラマチックな出来事があっての再会だと良かったのになと思って」
「アニメとか映画の見すぎだよ。相変わらず欲張りだな。僕は運命を感じたかな……」僕はそっと彼女の右手の甲の上に左手を置いた。
「そうだね……」彼女は右手を返し、手のひらを上向けにして、僕の手をしっかり握ってきた。
 僕は嬉しくなり、空を見上げた。そこには幻想的な空間が広がっていた。
「桜きれいだね。それに空の色が虹色みたいになってるよ」
「本当だね。話に夢中で気付かなかった。彩雲が見られるなんて。ねぇ、約束覚えてる?」
「ああ覚えているよ。欲張りなデートプランだろ?」
「それもだけどさ」
 アケミが目を細め、みつめてきたので、僕は少し笑みを浮かべてとぼけてみせた。それから少し間をおいて彼女に提案した。
「また、新しい約束しようよ」
「どんな?」
「もう、突然のさよならは言わないって」


ストレイテナーの彩雲にインスパイアされて書きました。

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