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ワタリドリ

ワタリドリ

 最後にご飯を食べて美味しいと感じたのはいつだっただろうか。今の僕は食事を楽しむことが出来ず、ただ空腹を感じないようにするために、必要最低限の分だけ何か手近なものを食べているような気がしている。
 そんなことを考えているとあっという間に昼休憩の時間が終わってしまった。一日中鳴り止まない取引先からの電話、上司の罵声、同僚の愚痴、終わりが見えない業務、昼休憩が終わった後、息つく間もなく嫌なことばかりが繰り返し起きる。もう限界かもしれない。いっそのこと全てを投げ出して海外旅行にでも行けないだろうか。帰宅する途中にある公園のブランコに座っては現実逃避を繰り返していた。

 今日はいつもと違い、定時に仕事が終わったため、早い時間に公園についた。目の前をカモメがとぼとぼと歩いている。羽を広げて飛ぼうとしているようだが、上手くいかないらしい。
「お前も飛べずに大変だな」僕は同情のような感情を抱いて、カモメに向かって呟いた。
 すると、遠くの方からギターの音色が聞こえてきた。
「ストリートミュージシャンかな。こんな時間に頑張って凄いな」僕は無意識に声を出していた。ギターの音色が聞こえてきた方に向かうと、数十人の観客の前で小柄な女性がアコースティックギターを弾いて歌を歌っていた。
 荒削りだけど、どこか人を惹きつける魅力があり、僕は夢中になっていた。演奏が終わると拍手がおこった。
「聴いてくれてありがとうございます! 夏目サキを今まで応援してくれてありがとう。ここで演奏するのは今日で最後になります」彼女は涙目になりながら次の曲を演奏しはじめた。
「おめでとう!」観客の一人が彼女に対して声援を送っている。何がめでたいのかわからなかったが、彼女の涙につられて僕も泣いていた。

 演奏が終わり、観客がその場を離れていく中、僕は動けず立ち尽くしていると、片付け途中の彼女が話しかけてきた。
「今日はありがとうございました。初めて聴いてくれましたよね」
「あっ、はい。素敵な歌だなと思って。もっと早く知りたかったな」
「実は私、あなたのこと気になってたんですよね。いつも帰り際にすれ違ってたんですけど、元気ないなと思って」
「そうなんですね。そっか、いつも僕夏目さんが演奏終わった後に公園に来てたのか」
「おこがましいかもしれないけど、私の歌で元気になってくれないかなーとか思ってました」
「ありがとう。元気になったよ。でも今日が最後なんだよね。理由聞いてもいい?」
「実は夢だったデビューが決まったんです! ありがたいことに全国ツアーも決まって」
「そうなんだ。おめでとう!」僕は少し寂しい気持ちになった。これだけ魅力的で才能あるから当然だよなとも思った。
「諦めずにやってきて良かったです! 路上ライブを3年間してきたかいがありました」
「3年もやってたんですね。すごいな」
「いえいえ。それに今日あなたに聴いてもらえたから、本当に良かったです」
「きっと、これからも上手くいくよ。素敵な歌だったから」
「ありがとうございます。お兄さんは夢あります?」
「うーん、絵を描くことが好きだから自由に世界をまわって、色々な国で絵を描きたいかな」
 僕は2年前まで、夢を追いかけて、絵を描いていたことをふと思い出した。
「素敵な夢ですね。一緒に頑張りましょう!」彼女は満面の笑みで僕に言い、ギターを片付けはじめた。

 僕の夢を馬鹿にせず、応援してくれる人なんて今まで一人もいなかった。昔はあんなに一生懸命になって絵を描いていたけど、絵描きじゃ食べていけないよと知り合いから散々言われ、諦めるつもりはなかったけど、いつのまにか諦めてしまっていた。
 ここで変わらないと一生変われない気がする。そう思い、僕は勇気を振り絞って彼女に言った。
「あの、僕も夢を追いかけます。もし有名になったらCDのジャケット描かせてください」
「はい。是非宜しくお願いします。名前、教えてください!」
「三浦リクです」彼女は手帳をバッグから取り出し、僕の見ている目の前で、名前を書いてくれた。
「リクさん、約束ですからね。素敵なジャケット楽しみにしてます」
「任せて、約束するよ。じゃあサキさん、全国ツアー頑張ってね。また逢う日まで」
 彼女と握手をした後、僕は覚悟を決めて一歩踏み出した。
 同時に目の前で、カモメが勢いよく飛び立っていった。



[ALEXANDROS]のワタリドリにインスパイアされて書きました。

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