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向き合うとか伝えるとか何とか

「伝えること」とは、
相手に気持ちや想いを言って
理解してもらうことまでが
セットな気がしていたけど

最近は気持ちや想いを言うだけ=伝わる
になっていて
何だか最近理解してもらおうとすることや
理解しようとすることが
両者共に減っている気がする

それはきっと両者共に
自分を守っていることもあって、
それはきっとなるようになっているのだけど。

かと言って気持ちや想いを
汲み取ってもらえない前提で言うのも違うし
「人を変えることができない」
からと建前だけ言うのも違う

伝えることが難しくなってしまっている気がする

ましてやこのSNSやネット上では
手軽にできるが故に、安易に伝わることがある

伝えることはできないけど
勝手に伝わっちゃうことがある

そこには相手の思いを汲み取ろうとする
気持ちがない場合が多い気がする
そして自分の思いや自分を守って
伝わったものを攻撃として
返すことがある気がする

もちろん私は何かをされた訳でも
何かをした訳でもなく

ただただ、そこに
「相手を思いやる」「相手を慮る」
愛があればいいのに。なぁ〜なんて。

みんな一生懸命に生きすぎている
余裕なく生きすぎている

余裕がないと勇気を持ちづらくなる
正面から向き合えないことが起こる
それが自分を守り相手を傷つける
みたいな?
でもみんな間違ってない
一生懸命に生きているから

でもそこには余裕を持てるような
システムがないと
だって実際問題めちゃくちゃ忙しいから
そこを変えるには感情論だけでなく
抜本的な変革が必要。
みんなが自然に余裕を持てる何かが

言葉尻を変えたり
ニュアンスを変えたり
印象強くさせたり
映えを狙ったり
そんな表面的なものではなく
底の底にある思いやドロドロしたものを
愛で包める
泥臭く生きて、地道につながっていく
そういうようなものも、必要

そして私はあくまでも
楽しみながら
泥臭く
目の前のことを一生懸命に
向き合うことを恐れず
生きていくし
人のために
自分のために
過ごしていく
この心を胸に