フッ軽とマネタイズとnoteを始めたきっかけ。

フッ軽。もちろん、フットワーク軽いって意味だけど、
わたしの友人の一人はとてもフッ軽で、
誘われた誘いは興味がなくても大抵参加する。

絵画教室、登山、ダンス、キックボクシング、イベント、マイナーな語学教室…
運動系から文化系まで、
年寄りくさいのから、若者しかいないようなもの、くせのある人が集まりそうなもの、
ある日道端でおばぁちゃんに話しかけられて、
街歩きイベントに参加したりしてる。

わたしなら絶対やらない。行かない。

決めて、やるまでの決断が早いのは、
自分の好嫌がはっきりとしてるからなのかな?と思ったけども、そういうものでもないらしい。

詳しく聞いてみても、すごく興味をひかれている様子はなく、なんとなく暇だしやってみるか、って感じで動けている。

これこそフッ軽。最高。

すげぇな、人生を広げて、楽しむの得意だな。
そうなりたいけど、なれないな。
面倒くせぇ、が圧勝して、小さな好奇心が負けてしぼんでいく。

で、そんなフッ軽な彼女に、しがらみ子は、
文章を書いてお金にしたら?みたいなことを言われた。
某YouTubeで継続的にできることでマネタイズやら資産形成をしなきゃ…という感情が動いたらしい。

彼女はフッ軽だけど、責任というものが嫌すぎて
好きを仕事にしたくないみたいにみえた。

彼女はフッ軽なのに、すべきことへの足取りはとても重いと言うことに気がついた。

わたしは興味関心、好きなことであってもフットワークは激重だが、自分がすべきだと思ったらすぐ動ける。
納得しているか、というのが意思決定の重要項目たから。

そんな訳で、彼女も言うように、投げ銭でもあるnoteでもやろうか。
と、なんとなく始めた。

岸田奈美さん程のスターがこの先noteから生まれたとしても、
まぁしがらみ子ではないだろう。

だけどこんなしがらみ子にサポートしてくれた人がいたことに
本当にびっくりした。

なんどもお礼の文字を書いては消して、
嬉しくて、申し訳なくて、ふわふわした。
(その件は本当にありがとうございます。サポートが本当に嬉しいです。)

未だにコメントには返信ができなくて、
noteの「つながる」部分を切断しているのはわたしなんだけど。
どこかのタイミングで怒涛の返信をしたいと思う。(フットワーク激重)

noteはお金をもらって、依頼されて書いたものでもない。
日記のような、わたしの記録を応援してもらうなんてことがこの世にあるんか!!という衝撃。

生きてることを肯定された気がした。
このnote村にしがらみ子みたいなのでも、
いてもいいよって言われた気がして、
涙が出た。

本来、ビジネスとして捉えるならば、
エンタメでなくてはいけない。

誰かを喜ばせたり、楽しませたり、驚かせたり。

それを一切無視して書いてたのに、
ありがとうございます。

いつか、
違う世界線で繋がっていた、
あなたとわたしの物語を書きます。

フットワークは重いままだけど、
心はとても軽やかです。

サポートしてくださる方が、もしもいるなら、そのお金で買ったものを書こうと思います。 生きていてよかったと、思わせてくれてありがとう。