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自分だけの表現とは――『三行で撃つ』再読中

「常套句は親のかたきでござります」

近藤康太郎先生の『三行で撃つ』を再読している。
はい、この言葉を目にするのは2回目。
なのに……なぜ、こんなに新鮮に感じるのだろう。

非常にワクワクした
前を向く
目を輝かせる

これら、全部常套句。ありきたりの表現だと頭に入れたはずなのに、何も考えずに使っていないか。

さらに、新聞でよく表現される

行われた
開催された

のような言葉も近藤先生によれば「としたもんだ表現」なのだという。

新聞とは、そうしたもんだ。読みものはこうやって書き出すとしたもんだ。新聞業界の長年の手癖のような文章だ。

『三行で撃つ』P61

これも以前読んだはず。

私は新聞を読むのが好きだ。
だから、新聞特有の「としたもんだ表現」が結構頭に残っている可能性もある。
なぜこのような「としたもんだ表現」や常套句を使用してはいけないか。
先生によると、常套句を使用すると、自分の頭で考えなくなるからだという。

確かにそうだ。1回読んだはずなのに、自分の頭で考えてないからすーっと流れてしまった。前回『三行で撃つ』を読んだのが去年の8月。もうすぐ1年になるところ。読んで以降、先生の講座や出版トークイベントにも参加した。なのに、まだこのページが新鮮に感じるとは。何回も繰り返し読む必要がある。

頭を使って自分の見たものを表現する。たぶんその苦しい修業をする努力をしていない。本を読み、辞書を調べつくし、写経をし……。

自分だけの言葉で表現する努力。自分の書いた文章に向き合う。当たり前のことをまた書いていないか。

その表現、ちゃんと頭使ってる?

近藤先生の厳しい視線を感じます。

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