『生きのびるための事務』を読んで――今まで詰めが甘いジムだった
坂口恭平さん著『生きのびるための事務』を読んでいる途中。そこには、夢をぼやっと見るのではなくて、実際に手を動かす重要性が説かれている。
手を動かすというのは、頭の中で描くだけでなく、紙に書き出すことだ。今の現状を紙の上で把握し、次に将来かなえたい現実も紙に書く。
たとえば、スケジュール管理について。1日のタイムスケジュールーー起床時間や睡眠時間、仕事時間、趣味などの時間を円グラフに描く。
次に、10年後、どのようなタイムスケジュールで過ごしたいかを具体的に描く。起床時間や睡眠時間、やりたい仕事の内容など。コーヒータイムには、何の銘柄のコーヒーを飲むのかさえ、具体的に書いていく。
理想のタイムスケジュールを書いたら、あとはそれを実行すればよい。5時に起きたかったら、すぐ実行。
書くことを仕事にしたかったら、すぐに実行。何を書くかがわからなくてもよい。ただ、書けばよいのだ。
なんだか、この部分、近藤康太郎先生(朝日新聞の記者で、『宇宙一チャラい仕事論』の著者)の教えみたいだ。読書すると決めたら15分ずつ区切ってあらゆるジャンルの本を2時間読む、のように。
タイムスケジュールを組むだけではない。お金の管理も必要だ。しっかりと計画を立てる。今必要な金額はいくらか、最低限を確保する。それは夢の実現のため。それ以外はただひたすら自分の好きなことだけをする。この辺は、家族など他の面も考慮しなければならないと思うが。
そして将来稼ぎたい金額も具体的に数字で表す。
こうやって見ていくと、将来の現実を着実に数字で把握していく大切さを思い知らされる。
それに比べて、私はいつでも曖昧だ。
簿記の資格も取っているし、会計事務所にも勤めていた。営業なんて絶対無理と思っているから、他の職業も事務が中心。しかし、実生活で将来の計画を立てたり、家計を管理したりするのが苦手。家計簿を新婚のころ付けるのは付けたが、支出を把握するだけ。収支を計算し、次に活かすことはなかった。大まかに家計がわかり、その範囲で生きていけたらよいか、ぐらい。
それでここまできてしまった。
夢に対しても、いつもぼやっとあるだけ。
独身のころは、家庭を持って2人子どもがほしいと思っていた。子どもが生まれたら、在宅で仕事をしたいな、家もほしいな、という夢。
ぼやっとした夢でも、それは全部かなった。
あまり大それたことは考えないで、少しのことで幸せを感じられる。
私の中にいる「ジム」はとても詰めが甘いのだ。
戦略的に考えるのがどうも苦手。
カチッと枠にはめられるのが、嫌いなほう。スケジュールも、全部決まっているよりも、余白があるほうが好き。そのほうが、やりたいことが急に出てきたときにできるから。
私の「ジム」は、怠けものなのだろうか。
戦略的に生きなくても、どうにかなっている。何もやってないつもりでも、思いつきでやっている行動が、そのまま夢に続いている道なのかもしれない。