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心配するのはよいけれど、家族に依存しすぎかも

最近娘のことが心配な日々が続いた。

しかし、娘が元気を取り戻すに連れて私もホッとするように。本人でもないのに悲しみが深すぎてちょっとおかしくないかと思う。心配しすぎにもほどがある。
私はメンタル的にも落ち込んでしまい、これ以上いくと、うつ病になりそうなのではないかと。
母親として、もっとどっしりと構えていたいのに。

なぜ、こうも本人みたいに考えてしまうのか。
幼い頃を振り返ってみる。
母が嫁として小姑(私から見ると叔母)たちに責められている場面が思い浮かぶ。原因はわからないが、その場の嫌な雰囲気は今でも心に残っている。母の悲しみがそのまま私の心に移ってきて、私は母を守りたい気持ちが強くなった。それから私は叔母たちを、「母をいじめる敵」として捉えていくようになった。

それからも、母の一番の理解者は私であると思いながら育つ。そんな私も、就職して実家を出て、その後結婚することに。しかし、私の心の中では、いつまでも「私の一番の家族は夫よりも母である」という思いが何年も強かった。これは母に依存していたから?

先日、下の娘が家に帰省した。
そのとき、「よく意外な行動をして、それを後で聞くからびっくりするよ」と言ってみた。
そうしたら、「事前にママやお姉ちゃんに聞くと、止められたりするから。自分の思い通りにしたいから事後報告してるんだよ」と言う。
そうなのか。確かに、心配性の私や上の娘は下の娘に相談を受けたら、「〇〇しちゃダメだよ」とか言いがちかも。事前に相談しないのは、自分の判断でやりたいことをやるためなんだね。

知らず知らずに母親の影響を受けることはある。
上の娘は就職しても実家暮らしを続けているので、だいぶ私の影響が強いはず。「〇〇しなさい」「〇〇はダメだよ」など、さすがに今は指図しているつもりはない。しかし、母親の何気ない言動は無意識に必ず刷り込まれているはずで。
母親の意向を気にする子に育っていないか。

私でさえ、就職で実家を離れたのにもかかわらず、一緒に暮らした母の意向をずっと引きずっていたと思う。派手な服装や髪型などが好きでない母の意向や、お金の使い方など。自分の意志なのか、母の喜ぶ意向なのか、どちらかわからない部分もある。

だから、上の娘には母親の顔色をうかがわずに、自分の意志で物事を決められる子でいてほしい。

私も、子どもに依存しすぎて、いつか娘のお荷物になりたくない。
友だちと出かけたり、1人でも行動できるようになりたい。夫への依存の心配をほとんどしないのが謎だが。

何ごともバランスが大切。
寄りかかりすぎない家族を目指したい。

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