再演って複雑?

今はとっても嬉しくて、喜ばしくて、誇らしい再演(オマージュ)。
だけど、発表された当初は複雑な気持ちでかなり混乱していたと思う。
ファンの人は皆そうだろうか?私だけ?

心が狭くて広い視野が持てなかった。
なのにいい感情ばかりだと嘘みたいなので、受け入れられなかった正直な気持ちも残しておこう。



皆さんは大好きな方の大切な作品が『再演』だったらどう思いますか?
その作品が所謂大作や自分の想い入れのある作品であれば諸手を挙げて喜べるかもしれません。
一方で、あまり馴染みのない作品やピンと来ない作品名であったとき、少し残念に思ってしまうこともあるのではないでしょうか?
本来上演作品が発表されることは嬉しいことのはずなのに、なんでこんな風に思ってしまうのだろう…と考えました。
私の理由は”その方だけの特別なものが欲しい”と願っているからでした。
特別なもの、その方の証、宝物のようなもの、です。


『新作』の方が羨ましい?


私は生徒ひとりひとりへの”当て書き”ができる『新作』を羨ましく思っていました。皆さんもそうでしょうか?
その方だけの特別なものになり得るからです。
すべての生徒さんへ当て書きができるわけでも、すべての作品でそれができるわけでもないですよね。
例えば生徒さんが、新しくトップに就任された時、組替えで異動してしまう時、そして卒業される時などを思い浮かべると分かりやすいのではないでしょうか。
それまでその方が歩んできた宝塚人生や、組子さんたちとの関係性など、脚本から生徒さんへのメッセージが伝わる時、その想いが嬉しく、その方の役なんだと喜びを感じます。
演じる生徒さんと役とを重ね合わせ、より感情移入して作品を楽しむことができますよね。
その方ならではの役、とても羨ましいです。


”当て書き”が『再演』される時


では、その”当て書き”の作品が『再演』される時、どう感じるでしょうか?
『初演』の生徒さんに当て嵌めた役がはたして次に演じる生徒さんに合うのか不安に思ってしまいますよね。
自由度の高い脚本であれば次の生徒さんに合わせて再び”当て書き”することができるかもしれません。
ただ、話の本筋や役の比率はあまり変えられませんから、それにも限界があります。
分かり易くダンサーの生徒さんが踊れない役だったり、シンガーの生徒さんがダンサーの役だったり。それはそれで面白かったりもしますが。
そうなるとやはり、生徒さんに合っていない!何故今この作品を?と感じてしまいます。
原作がある作品もそうですよね。
役が固定されていると、生徒さんの魅力を活かし切れていない!なんておこがましくも思うことも…。
でも不思議!生徒さんは一見似合わないような役だったとしても、舞台で魅力的に仕上げてしまいます。すばらしいです。
なので、どんな役でも魅力的にできてしまうから大丈夫!!が私の答えです。
しっかりとその方の役になりますし、もし苦手分野にチャレンジされているとしたら、新たな魅力に取り憑かれてしまうかもしれませんね。


『再演』された側のファンの気持ち


そして、ようやく本題です。
その方のために作られたその方だけの役。
ファンの想い入れもひとしお。
そう思っていた作品が別の方で『再演』されるとなった時、私は正直辛かったです。
大切にしていた宝物を奪われてしまったような気持ちで、すぐ受け入れられませんでした。


ただの私の気持ち


どうして?
私が経験したのが作品ではなく、ショーシーンの『再演』という少し特殊な『再演』パターンと前回の投稿から気づかれてる方もいらっしゃるかもしれません。
大好きな方の、たった一つのトップ公演。
それさえも奪ってしまうのか?と、その時私は見当違いな絶望と裏切りを感じてしまいました。
ファンがどれほど想い入れのある作品か、当時一緒に作り上げ、最後まで見届けた先生が一番分かってくれていると思っていたのに!
今思い返すとおかしいのですが、発表当時はショックが大きくていろんな可能性を考えられませんでした。

『Cocktail』は、匠ひびきさん退団直後の次の博多座公演ですぐに上演されています、その後全国ツアーも。
その時もあまりに早すぎて悲しかった。
着て欲しくて、着ることができなかった衣装たちが次々に出てくる。
スプーン1杯…簡単にCocktailの中身は変わってしまった。
でも冷静になれば妥当な選択でした。
東京公演の時、短い稽古期間で花組生一丸となって代役公演を努めてくれた作品。
初めての2番手だったのに、突然主演をしなくてはならなくなった春野寿美礼さんの重責は想像を絶すると思います。
チャーリーさんのありがとうと、オサさんの涙、抱擁。
花組生が必死で守ってくれた舞台でした。
だから当時の『再演』は一番妥当な公演だったのだろう、と今思います。

それから15 年。どうして今頃?
ショッキングな出来事が蘇って『Sante』で突然『乾杯』のシーンをやると聞いて拒絶反応を示してしまいました。
ANJU先生がチャーリーさんのために振付けてくれた、想いの詰まった振付を何故?
トップの明日海りおさんは初演時まだ初舞台も踏んでいません。
”あの時”と、”今”と、何が関係しているの?と何も考えられませんでした。
とても反省しています。
その気持ちをあっさりと、コロッと変えてくれたのはチャーリーさんご本人でした。
『再演』の話を聞いてとても喜んでいらっしゃると知ったのです。
それから演ずる花組さんたちのお気持ちをようやく知りました。
皆さん『初演』の出演者、そのファンの気持ちをとても思ってくれていました。
私たちにとってどんなに大切な作品だったか理解してくれていましたし、その想いに答えなければならないと責任まで感じていることを知りました。
そこでようやく”あの時”と、”今”と、分断されたものではなく、ずっと繋がったものだったのだと理解することができたのです。
”あの時”しかなかった私には目から鱗でした。

そう思わせてくれたのは振付の安寿ミラさんはもちろん、『Cocktail』に出演した生徒さんの中で唯一『Sante』にも出演される花組組長・高翔みず希さんの存在がとても大きいです。
”あの時”の生徒さんたちの想いもきっと”今”の生徒さんたちに伝わっている、そう思えました。
それは今回に限ったことではなく、脈々と、上級生から下級生へ受け継がれてきたものの中にしっかりと刻まれていたんですね。
”上級生が演じた大切な場面”
”上級生の皆さんへの想いも込めて”
”花組の伝統のシーン”
のちのインタビューで明日海りおさんや瀬戸かずやさんらが答えているのを拝見して、涙が出るほど嬉しかったです。
めちゃめちゃ掌返しました。反省しています。
それからの前回投稿した皆さんのご感想です。
私たちの宝物はずっと箱の中じゃなくて、”花組の伝統”として受け継がれてキラキラと輝いていた。
とっても誇らしい気持ちです。
藤井大介先生、ありがとうございました。ワケも分からず怒ってごめんなさい…。
もしかして入団から30年、退団して15年、特別な年の特別な日。
匠ひびきさんを宝塚大劇場へ連れてきてくれたのは、そういうことですか?
私たちの想いを昇華させてくれた、そういうことですか先生?


『再演』された側のファンの気持ち・再


ということで、長々と昔話を書いてしまいました。
大切な作品が『再演』されることになった時、初めはとても複雑でしょう。
他の人には合わない!なんて思うかもしれません。
でも大丈夫。生徒の皆さんは『初演』をとても大切にし、当時作品を作り上げた皆さんをとてもリスペクトして、その想いを受け継いでくれます。
そしてすばらしい作品が出来あがるはずです。
また新しい色が加わって、私たちの宝物は再び輝きだします。




思い詰めずに、視野を広げて。
たくさんの視点から見られればそれだけで楽しみが何倍にも増える。
大好きな方の想いが受け継がれていると知ったなら
きっとこれからもっと好きになってしまうのだろうと思う。


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