レールを歩いた先の看護師
「先生はなんで看護師になったの?」
「小さい頃から看護師さんになりたかったの?」
「お母さんが看護師さんだから?」
「入院した経験があるとか?」
私が看護師を目指した理由は、親が敷いたレールでした。
「自分の本心で看護師になったわけじゃない。」
最近は、家庭の事情や経済的な理由で看護師を目指す子達もたくさんいます。
「私は心から看護師になろうなんて思ってない。」と悩むこともあるかもしれないと、勝手ながら思ってます。
そんな看護学生の希望に少しでもなれたらいいなと、日頃から考えてます。
親の思い、子の思い。
うちは両親揃っての美大出身。
医療者は誰もいませんでした。
しかも母はシングルだったので、経済的な悩みを常に抱えてたはずです。
(はずというのは、多少なり祖父母の支援があり、私自身があまり不自由を感じなかったからです。)
母のジジ・ババのもとでぬくぬく育った私は、勉強の出来ないクソガキでした。
そんな私を見て「このままだとウチの子ヤバい!」と思った母が、
「看護学校だったら学費出してやる。大学に行っても学費は出さない。」
と私に突きつけてきたのでした。
えええええええ、看護師なんて嫌だああああ。
これが正直な気持ちでした。
責任の重い仕事したくなかったんです。
医療事故を起こしたらどうしようとか、
夜勤とかキツイ仕事やりたくないとか、
そんなことばかり考えてました。
後に「お姉ちゃんは本当は看護師になりたくなかったのに、よく看護師になったね。」と妹に言われました。
(ちなみに看護師になりたくないと妹に話したことはありません。妹、怖い。)
しかし、高校生の時にリーマンショックがおこったのもあり、看護学校の入学試験の倍率が跳ね上がっていました。世間は危機感を抱えてるのは、あんぽんたんな私にも分かりました。
「とりあえず資格だけでも取らないと生きていけないかもしれない。」
ようやく重い腰をあげて、受験勉強に励み、なんとか滑り込みで看護学校に入学しました。
患者さんと接して見えてきた世界
私が入学した時の看護業界は、完全に売り手市場でした。
新人看護師を1人でも多く確保するため、病院は学生の奪い合い状態です。
入学式では、病院の偉い人たちがにこやかに「ぜひ当院に就職を。」と次々に言う。
「とんでもない新興宗教に入信した気分だ…。」とゲッソリしたのを覚えてます。
場違いな気持ちを持ちつつも、心のどこかで「患者さん、みんな優しいな。」と感じることが増えていったのです。
実習中は毎朝、病室前で私を待っていたり、
誰にも言えない悩みをポロッと話してくれたり、
こんなちっぽけな学生でも頼りにしてくれる人がいることに喜びを感じました。
「何ができるか分からないけど、こんなに頼りにしてくれる人がいるなら、看護の世界に行ってみようかな。」
そんな思いで、国家試験を受験し看護師になりました。
レールを歩いた先に
学校へ出向くと、
「先生、お久しぶりです!」
「わぁ、先生の授業、懐かしい!」
「今年は私達の授業入ってくれないんですか?」
と、学生が声をかけてくれるのが楽しみになってます。
「国試受かった!!」と報告が来ると、
それはもう涙が出るくらい嬉しいです。
「こんなに自分を頼りにしてくれる人がいるなんて、幸せだなぁ。」と思います。
あの時の母の怖い言葉がなかったら、この子達に出会うこともなかったと思うと、感慨深いです。
このレールの先がまだまだ続きますようにと、時々祈っているのです。
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