見出し画像

詩とそれにまつわる話(船)

さぁ、どこへ行くんだろう
手をふり 手をふり
その間に通す
細いしるしを
波間にわたす

明日は会えぬと知りながら
明日が見えぬと知りながら

いつの日にか
会えるときの

思い出を作る旅に出る

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

行き先のない私たち
どこで出会えるか分からない私たちの
間を繋ぐ

手を振り、手を振りつづける

姿が見えなくなるまで
波がひかなくなるまで

それぞれが違う明日をむかえながら
また会えることを願ってる

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私が大学時代にフィールドワークをしていたのは、鹿児島県屋久島町の口永良部島という島でした。その島へは、神奈川から飛行機で鹿児島県へ、鹿児島県からフェリーで屋久島へ、屋久島からフェリーで口永良部島へ。という3つの行程を含んで向かわなければなりませんでした。

島に通う中で、島ではかっこいい大人がたくさんいて、私たちができることはなんだろうと模索して。
島の人とも距離が近くなったけれど、船を運転するおっちゃんとも仲良くなることができました。

島に行くのは、年に1~3回です。
島を行ったり来たりしているフェリー、島の人たちの暮らし、
フェリーによって全ての物事が動き始めるその暮らしは、私たちにとっては新鮮なものだけれど、フェリーや島の人にとっては当たり前なのだと、
そうすると、どこか「島の人に追いつけない」という感覚が私の中に起こります。私たちはいつでも外のものだなと感じます。

ある時、船の船長さんがとても元気がない時がありました。

「元気ですか?」と声をかけると、「元気じゃないよ〜〜」と返ってくるのです。
その時期は、近くのフェリーの船員さんが亡くなる事件があり、その影響でフェリーの運航体制が変わったり休業期間が設けられたりなどしていた時期でした。
その影響かどうか分からないけれど、その船長さんは元気がなくて、"通常運転"ではありませんでした。
「あ、私たちがいつ来ても、船が運行していて生活が営まれているものだと思っていた。"当たり前"が動いていると思っていたけれど、そうではないのだな。」と気付きました。

船の船長さんと仲良くなったからこそ、会っていない時に何かあったら、と思うと悲しくなることがあります。
「船長さんのお子さんはどうなるんだろうか」
「船長さんの知り合いの漁師さんたちは悲しむだろうな」と。

少しでも関わったから、背景が見えるようになりました。
フェリーは、そんな様々な人を、波を越え風を浴びながら、運び繋げている。
出会えた偶然と、新たな航路へ旅立つ勇気を、教えてもらいました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?