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詩とそれにまつわる話(居場所)

その中には
あたたかい空気が流れているという
その中には
真空の時間が存在するという

わたしはいる
ワタシはいない

そこにはかけらほどの変化もない

草が出たら刈る
幹がただ伸びる
繰り返し繰り返し

されどそこに
勇気と調和を見出せるは
ほんものの人間である
貴女であろう

私は大学2年生の時に、NPO法人カタリバというところで、子供の居場所支援のボランティアをしていました。中学生とか小学生が、学校が終わった後に勝手に来て、勉強をしてご飯を食べて帰っていく場所です。授業とかもあって、スタッフの方は塾講師みたいに集団授業をしています。ボランティアは、授業内に授業についていけていない子供や、授業を面倒くさがっている子供たちの相手をします。その他には、自習をしている子供たちに声をかけて、分からない問題を一緒になって解いたり、進路について考えたり、あとは普通に雑談したりしています。その当時は新型コロナウイルスが蔓延していて、どこもかしこもマスクをして対面でご飯を食べられなくて少しでも体調が悪かったらコロナを疑って、という状態だったので、半分オンライン、半分対面での活動をしていました。当時住んでいた家から、電車で約2時間ほど、あまり行ったことのない東京方面にせっせと出かけて行って、夜遅くに帰ることをしていました。今思うと物凄く真面目な学生だけれど、当時はコロナで学校の友達もいなかったし、20歳でもないからお酒も飲めなかったし(サークルもなかったからお酒を飲む場も知らなかったし)、やることがなかったんです。あとは、「居場所」というものに興味があったからでした。「居場所」ってどうやってできるんだろう。作り出すものでもあるし、気づいたらあるものでもある。場所であったり人であったり、音楽とか絵とかの場合もある。自分がホッと一息つける場所ですね。どうして「居場所」というものに興味を持ったかというと、自分が成長する過程で足りなかったものがそれだと思ったからでした。なんでこんなに自分は不安定なんだろう、と自分で自問自答することが多かった。私の心は常日頃から不安定でした。夜は眠れなくて授業中にも色んなことを考えて涙が出てきて、散歩をして無心で夕日を眺めている時間に安らぎを感じるという人でした。周りには同じような人はいないし、どうして友達みたいに上手くできないんだろう、と思うこともたくさんありました。(学歴とかあまり関係なく、みんなが普通にしてる、アイドルを追いかけるとか、こういう趣味があってとか、たくさんお喋りしたりとか、なんだかできなかったんです。)でも、人のことは好きで、友達も比較的多い方で、色んな人と話すことが好きで、興味を持った場所に自分の力で赴いてみちゃうこともいっぱいありました。親には怒られそうで言えないけど、色んな団体の活動場所に出かけて行って、そこで沢山の人に出会いました。怪しい団体じゃなくて、ちゃんとした目的があって、同じような年代の人たちで(しかも色んなことに興味津々の人たち)構成されている団体です。そこでは、少し危ないなと感じることもあったけど、みんな良い人で、今でもSNSで、頑張っていることや色んな所にいる状況を更新しているのを見ると「やってるやってる〜」と嬉しくなることがあります。そう、そんな活動的なところのある大学2年生の私は、その反面、気分の波が激しくて、自分自身の感情をコントロールすることができずに困ってしまうことが多くありました。しかも、それほど感情を出すことが苦手なので、周りの人には気づかれないことが多く、そのまま日常が進んでいくことでさらに悪化してしまいます。でも、自分が悪いから抑えなければと思っているので、益々周りの人に合わせようとして、自分が疲れて気分が上がり下がりしてしまう状況でした。そして、その状況がなぜ生まれたのかと考えた時に、もちろん自分の性格の一部ではあると思うんですけど、自分の親や家族から言われてきた嫌な言葉や悲しい思い出が蘇ってくるから、これまでの家庭環境が少し周りと違うんだと思いました。実際に、家庭環境は周りと違うと思います。何も問題ない、円滑に物事が進んでいるような家庭ではありません。もちろん、その状況だけで自分の精神状態が不安定だとは思わなくて、私は弟が4人いるのですが、みんなが皆そんな傾向があるわけではないので、私の元々の性格が多くあると分かっていました。でも、問題のある家庭環境が大きく寄与していることには変わりないと思って、じゃあ、理想の家庭を作り直すことはできないから、何が足りないかというと、自分が安心して過ごすことのできる「居場所」なるものが必要だと思ったんです。そこで私は「居場所支援」なるものをしているNPO法人カタリバ(のちに、このカタリバはSFC出身のOGの方が始められたと知って驚くのですが。)に応募をして、ボランティアとして活動していたのでした。
つまり、自分自身の「居場所」を感じられていないにも関わらず、「居場所」を提供しようと頑張っているNPO法人の活動に共感して、子供たちに「居場所」を届けるために活動をし始めたのです。
これは、大変楽しく、自分自身を見つめるきっかけになりました。子供のことは昔から好きだったし、子供たちが次第に心を開いてくれる様子や、優しくて経験豊富な先輩たち、大人たちと話す良い日々でした。家から少し遠いこと、そして子供たちに話しかけることに対して緊張感を抱いてしまうこと、自分の家庭や子供たちの家庭に対して悲しい気持ちを抱くことはありましたが、コロナ禍にいる私が取った選択肢としては、良いものだったんじゃないかなあと思います。
この詩は、任期満了でカタリバを離れるときに書いたものです。
カタリバの活動は任期がきた場合に、延長するかそのまま終了するか選ぶことができます。私はどちらにしようか決めかねていました。そんな時、1人の先輩が「まあ、あなたが辞めても続けててもあまり変わりはないんだけどね。」と言いました。正直、え?そんなこと言う?って思いました。確かに、私の代わりはいくらでもいるから、そして私がいなくても組織は続いていくから。でもその後に「あ、俺がいなくても、誰がいなくても変わりがないっていう意味ね。」と付け加えられて「あー、そうですよねぇ。」と返しました。少し冷たい言葉に聞こえますが、よく考えればそうです。私がどれだけ、1人の子供に力を注いで、その子に影響を与えていたとしても、私が抜けても誰が抜けてもいいように組織の運営体制は整っているのです。そして、それはなんだか、この世界の全てに繋がっているような気がしました。大袈裟かもしれないけれど、生きる者と死ぬもの、それは弱肉強食の世の中で食べられる生物と食べる生物がいること、人間界においては寿命や病気の話、自殺や他殺の話、全てが入れ替わり立ち替わり進んでいく世界で、私たちは生きているということ。そんなことが一瞬頭の中を巡って、でも、私の体に記憶されていたのは、どんな短期間だとしても1日1日子供達に向き合っているスタッフの方々の姿で、「居場所を作る」ビジョンを打ち立てたOGの方の姿でした。その、一瞬の立ち替わりの生命と1日の細かな対応という比較によって、地球儀と顕微鏡をどちらも持っているような気分になり、この詩を書きました。

その中には
あたたかい空気が流れているという
その中には
真空の時間が存在するという

わたしはいる
ワタシはいない

そこにはかけらほどの変化もない

草が出たら刈る
幹がただ伸びる
繰り返し繰り返し

されどそこに
勇気と調和を見出せるは
ほんものの人間である
貴女であろう


勇気と調和って、我ながらかっこいい言葉だなって思います。人間が持てるもの、人のことを思いやって、その気持ちのまま、何かを前に進めるためのもの。
貴女、はそうであってほしい。


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