マガジンのカバー画像

【名盤伝説】 洋物FUSION系まとめ

35
1970〜80年代を中心に洋物FUSION系のミュージシャンやアルバムを紹介しています。ジャズ系由来のボーカルアルバムもこちらで紹介しています。
運営しているクリエイター

2024年7月の記事一覧

【名盤伝説】“Tom Scott / Street Beat” 全盛期のアグレッシヴなプレイを堪能できる東西連合フュージョン・アルバム。

お気に入りのミュージシャンとその作品を紹介しています。LA出身のSAXブレイヤートム・スコットの9作目のソロアルバム『ストリート・ビート』(1979)です。 ロック・スピリットに溢れたアグレッシヴなフュージョンアルバムという感じでしょうか。このアルバムのトムのアルトの攻めの方は半端ないです。片や、柔らかな音色でムーディに奏でるリリコンとの対比。バラエティ豊な曲が続きます。そのバックを支える実力派セッション・プレイヤー達とのアンサンブルが全編にわたって楽しめます。 特に注目

【名盤伝説】”David Sanborn / As We Speak”

お気に入りのミュージシャンとその作品を紹介しています。惜しくも今年5月に他界したデヴィッド・サンボーン。彼の代表作は『Voyeur (邦題: 夢魔)』(1980)だと個人的には思っています。 ではその次は何を聞くのか・・・続く81年作『As We Speak (邦題: ささやくシルエット)』を推します。 前作から引き続き、ベースはマーカス・ミラーが全面参加。心地よいスラップ・ベースが随所で楽しめます。ドラムは名手オマー・ハキム。ギターとボーカルには「マニアック」の大ヒット

【名盤伝説】“David Sanborn / A Change Of Heart”

お気に入りのミュージシャンとその作品を紹介しています。フュージョン・サックス・プレイヤーデヴィッド・サンボーンの1987年リリースのアルバム『チェンジ・オブ・ハート』です。 『Voyeur (夢魔)』(1981)、『As We Speak(ささやくシルエット)』(1982)と好盤を連発し、人気を不動のものとしたサンボーン。その後スタジオ盤やライブ盤をリリースしますが、少々物足りなさを感じていました。個人的には聴き手の心に一直線に突き刺さるようなサンボーンのアルトの音色にやら

【名盤伝説】”Lee Ritenour / Rit 1+Rit 2” 時代のAORテイスト満載のボーカルアルバム。

お気に入りのミュージシャンとその作品を紹介しています。クロスオーバー / フュージョンファンに絶大な人気を誇るギタリストのリー・リトナーが、当時流行のAORテイスト満載のアルバムを発表して話題になった『Rit』(1981)です。 このアルバムはリットの作品としては最も商業的に成功したアルバムとなりました。USトップ40にチャート入りし、ビルボードR&Bアルバムチャートで20位に、またシングルチャートでも「イズ・イット・ユー」は15位を獲得しました。 プロデューサーにはデヴ

【名盤伝説】”Spyro Gyra / Free Time” カリプソ由来の爽やかな風に吹かれたい。

MASTER PIECE USニューヨークで結成されたジャズ・フュージョン・バンドのスパイロ・ジャイラ5作目のアルバム『フリー・タイム』(1982)です。 バンドは1971年にジェイ・ベッケンスタイン(Sax)が地元の音楽仲間らと結成し、1979年にトム・シューマン(key)、デイヴ・サミュエルズ(Vib)などと共に『スパイロ・ジャイラ』でデビューします。初回プレスがたったの500枚と全く期待されていませんでしたが、その後に反響を呼んで20万枚を超す大ヒットとなりました。1

【名盤伝説】” Ernie Watts / Chariots Of Fire” オリンピックが始まると聞きたくなる クィンシー流アスリート達へのアンセム。

MASTER PIECE ベテラン・サックス奏者のアーニー・ワッツ名義のカバーアルバム『Chariots Of Fire (邦題: 炎の走者)』(1981)です。 アーニーは1945年US出身。若くしてその実力を認められて、自身のカルテットを組んだり、数多くのビッグバンドでプレーしていました。 私が初めて彼の名前を意識したのは、日本のジャズ・フュージョン系ピアニスト菊池ひみこさんの2ndソロアルバム『Flashing』(1981)でした。アルバム名義が「菊池ひみこ&デッド

【名盤伝説】” George Duke/ Dream On” ジャズ・ファンを唸らせたファンクな名盤。

MASTER PIECE ジョージ・デュークはUS出身のジャズ系キーボーディスト。幼少期に地元の教会でブラック・ミュージックの洗礼を受けたものの、学生時代には地元の仲間とジャズ・グループを結成して活動していたといいます。音楽院に在学中、あのアル・ジャロウと組んでクラブで演奏していたとのことです。 その後もクインシー・ジョーンズやフランク・ザッパ、ビリー・コブハムなどのグループに参加して、主にジャズ畑で腕を磨いていきます。 1970年にアルバムデビュー。前衛的なインストアル

【名盤伝説】”Herbie Hancock / Lite Me Up” ハービー流ファンク・ミュージックの快作。

MASTER PIECE ハービー・ハンコックはUS出身のジャズ・ピアニストとして有名で、キャリアも実績も、まさにジャズの達人です。彼の飽くなき探求心と好奇心でジャズを基本としながらも、様々なテイストの音楽と融合を試みていきます。そんな彼が1982年にリリースしたアルバム『Lite Me Up』です。 プロデュースは自身で手掛けるも、LAシーンを中心とした人気ミュージシャンで制作されたアルバムは、従来のハービーのファンには不評でしたが、AORファンからは絶賛されました。