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(2024.07.10 更新) はじめまして ”Mr.O2” です。1959年生まれ。東京都在住です。仕事以外に街歩きと音楽三昧(聴く、観る、演る)の日々を過ごしています。 心に響く多くの素敵な音楽と出会い、音楽を通じて様々な人達との交流も生まれ、そうした繋がりは私の宝物です。 大学を新卒で入社した広告会社を定年退職し、契約社員としてウェブマガジンの運営に関わった後に、現在は展示会イベントの主催者業務に携わっています。 この年齢になって自分の生き方について改めて考えてい
[SSD]※ 日々暮らす中で、その在り方や表現などに、妙な違和感を覚えることがあります。何故そんなことになっているのか理解できず、欽ちゃんではありませんが「何でそうなるの?」って疑問に思うこと、ありませんか (例えが古くて分からない方が多いかもw)。 そんな時に「そもそもどうなのか」※ と考えてみると「なるほど」と合点がいくことがあります。 後に解釈が変わるかもしれませんが、違和感を解消するための私なりの考え方(個人的なこだわり?) などについて、ぼちぼちと述べてみたいと
[SSD]※ 今年の関東地方、梅雨明け宣言はまだですが、雨は降れども梅雨っぽくない日が続いています。 さて、小室等の初期の作品で「雨が空から降れば」という名曲があります。 「しょうがない、雨の日はしょうがない~♪」 そう、しょうがないのです。だからお出かけするなら傘をさします。 よく考えれば「しょうがない」ことのはずなのに「何でこんなことになるんだ!」と憤り、抗うことってありませんか。 ましてやそれが自分のせいでもなく、天候のように、どんなに不満に思ってもどうにもなら
[SSD]※ 私がnoteを始めたきっかけは、いわゆる「終活」の一環でした。 とはいえ、この記事で私は「終活」という表現は敢えて使っていません。 人生には様々な節目があり、就職や結婚、転勤や転職、定年退職や年金受給などなど・・・その時々に、それ以前の暮らし方を見直さなくてはならないことがあります。その一つとして「終活」があると思うのですが、「終わり=死ぬこと」を前提としているニュアンスを含んでいる気がしてならなくて、めちゃくちゃ違和感を感じていたのです。 実際に平均寿命
[SSD]※ 人柄を表すものには様々ありますね。 「あの人って優しいよね」これは性格。「あの人って何でもテキパキこなすよね」これは行動様式。「あの人って年の割には大人びてるよね」これは見かけだったり振る舞いだったり物腰だったり・・・ これらは周囲の人との比較や関係性からのもののような気がします。 では自分自身の人柄については、どう感じますか。 性格、行動様式、振る舞い全般・・・生きてきた中で自分にまとわりついたものを一つ一つ剥がしていくと、他人との比較や関係性を超えた、
[SSD]※ 学生時代、特に大学受験までのお勉強は、様々な教科の内容を頭に詰め込むことだけに四苦八苦していました。 特に私は暗記科目が大の苦手で、見れば分かるものを何故敢えて覚えなければならないのかと思う始末。暗記する理由も覚えていればラクでしょ、くらいにしか考えていなかったので、そんな科目のテストの成績が良いはずもありません(汗)。 ここでSSDを発動すると、まるで違う思いに行き当たります。 そもそも何のために「学ぶ」のかといえば、先ずはその教えを深く心にとどめて、よ
[ SSD ]※ 同じものを見ていても、見る人によって全く違うように感じるものです。自分の見方が全てではないというお話です。 最近は少なくなったようですが、この時期に会社の暑気払いなど飲み会が催されることもあるかと思います。 そんな飲み会の席で、自分のグラスのビールが半分になったとします。すると妙に気を回す人が隣にいて「どうぞ」と注ごうとします。この人は「半分しかないから」と思って注ごうとしています。飲み会で後輩はグラスに飲み物が半分なったら注がないと気が利かない奴だと思
[SSD]※ 日々の暮らしの中で、周囲の人との関りで煩わしく不快に思うことは山ほどあります。不快に思うことをストレスとするならば、そんなストレスをどう解消するかという方向に思いが向かいますが、ここでSSD発動です。 そもそも自分が不快に思うのって、自分が心地よい(快)と思うことと違うことに遭遇している時ですよね。 多分、不快に思わせている人にすれば、誰かを不快にしているなどとは全く思っていないから、そうしているだけなのでしょう。その人の在り様を、自分が不快に思わないように