初めてのジーク太郎がいない朝に
おはようという相手がいない。もう太郎の寝息を聞く事が出来ない。悲しい朝。
昨日までは、仏壇の父と新之助とおばあちゃんに、母と太郎の穏やかな最晩年の日々の見守りをお願いしたのに、今朝からは父とおばあちゃんと新之助と太郎に、母の穏やかな日々が長く続く様にお願いする事になるのかしら?それともまだ太郎は私のそばで私を見守ってくれてるのかしら?
ごめんなさい。夜中に何度か骨壷を殴る蹴るしてしまいました。
今まであんなに気をつけて太郎を踏むことはなかったのにね、たまに踏んだけどさ。
昨日の今頃は、本物の太郎が、朝起きてスマホで新ちゃんと父に手紙を送る時にいてくれた太郎に今朝は手紙を送った。どうしても、ありがとう、よりもごめんなさい、が出てきてしまった。
最後に太郎の生きている写真を撮ったのが8月29日水曜日。8月27日月曜日の夜にお腹を壊したのが最後。なんだこんだでスーパーワイドを20枚は使い、最後のシャンプーをしてドライヤーで乾かしたのも8月27日月曜日の夜。太郎の下痢がいったん止まって整骨院に行き、帰ったらやはり下痢して太郎がら泣いていたのもその夜。それでも最小限の汚れにしてくれていたのもあの夜。あの声はもう聞けないのかな?
昨日の夜も何回か、あの苦しげな私を呼ぶ声は聞こえたのだけど。
サークルに入れた、タイで買ったクッションの端っこにはまさかの左脚が絡まって紐を挟みで切ったのも8月27日月曜日の昼。多分、お弁当買って帰った時だと思う。いろんな事が、太郎がら生きていたから起きたのが27日月曜日だったのだね。
綺麗にシャンプーしたか、その後はずっと良い匂いがしていたよ。シャンプーほとんどなくなり、小さいの買わないと、と思ったんだよね。
太郎、17年と7ヶ月、私のためにずっと私を優しく見守ってくれていてありがとうね。こんなに優しくて強い子に巡り会えたのは、私の強運だと思う。
それも最後の8月26日に私の心の中を発散できるこの場を開始した後のことでした。
太郎、尊敬するよ。色々と教えてくれてありがとうね。