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入院の寂しさは患者当人だけじゃない

あの時がきっかけだろう、
家族活動においての
スタンス〝私が我慢して治る〟を
選択することになったのは。


私は二人姉妹の長女。
私が幼稚園生のとき
2つ下の妹が、入院した。



それに母が付き添った。


私は叔母の家に預けられた。


今思えば、ほんのひと月にも満たない期間だった。

子に恵まれなかった叔母は
母に代わり、スイミングスクールの
送り迎えや、慣れない手つきで
お風呂に入れてくれたり、
内緒でバカデカい苺のパフェを
食べさせに連れて行ってくれたりと
よく世話を焼いてくれた。


ある日曜、父が病院に連れて行ってくれた。


妹と私は、二人で一日中、小児病棟で
遊び続けた。


幸せな時間だった。


西陽が差し、大人たちの視線を感じた。


母と妹が、病院の前から
見送ってくれた。


私は父が運転する車の助手席で、
どうしたらいいのかわからないけど
泣いてはいけない気がして、
とにかく手で顔を覆った。


大人になって知ったのは、
あの日は家族4人、それぞれが
静かに泣いていたらしい。



あの時、大人が
私たち家族に
「寂しいよね」と

寄り添ってくれていれば

違ったのかな。

いや、たぶん言ってくれた人は
いたのだろう。

でも誰も「悲しいよね、泣いていいよ」と
言われなかったのだと思う。


お陰様で、入院していた妹は
現在たくましく二児の母をしている。



その後、小学校入学を控えた私は、
家族と母方の祖母の家に身を寄せていた。


毎晩、入院している祖父に会いに行く
母を見送る日々。


後ろ姿を黙って見送るしかなかった。


幼ながら、祖父の死が近づいていること、
平常心ではいられない母に対して
何もできない父のことを
受け止めようとしていた。



「おじいちゃんに、ランドセル背負う姿
見せたかったね」と、大人達に言われた


家族がいる幸せ


一人なら悲しむこともないなんて…


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